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水哉園を開いた村上佛山(1810~1879)の生墓で、水哉園の西南隅にある。佛山は江戸松・明治の漢詩人。始め筑前の原古処、のち亀井昭陽、貫名海屋に師事した。天保6年帰郷して私塾水哉園を開く。明治9年にはホトギ山の大岩の下に全作品と刀剣などをうずめ、門人守田蓑州がその岩に「藏詩巖」と記した。生墓のなった明治12年5月には古稀を盛大に祝ったがその9月脳溢血で亡くなった。『事実文編』にも蒲生重章が「村上佛山傳」を書いている。・佛山先生墓 明治12年 草場廉撰文 参議伊藤博文題額 坂上真書[臥00072]