新宮ケーブルカー跡地、歴史を感じる旅。
| 名前 |
新宮ケーブルカー跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒647-0081 和歌山県新宮市丹鶴3丁目4−7690−38 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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美智子皇太子妃(当時)もご乗車になられた、かつて日本一短いケーブルカーの路線だった新宮ケーブルカーの跡です。丹鶴駅と二の丸駅を結んでいました。ケーブルカーの運行終了から45年程経過しましたが、2025年現在も丹鶴駅跡にはホームへ行く階段・階段状になっているホームとホームの白線・駅の土台基礎・ケーブルカーに並走して存在していた荷物運搬用のトロッコ軌道の車止めのコンクリート構造物が現存しています。丹鶴駅跡の近くに、「熊野新宮モダンすぽっと」の案内板があり、そこに載っているQRコードを読み取ると新宮ケーブルカーの解説があり(二の丸旅館営業当時のケーブルカーの画像と、新宮観光リフトカーと書いてある当時のチケットの画像)以下の説明を見ることが出来ます。「1980(昭和55)年まで20年余り鐘ノ丸(かねのまる)跡で民間の旅館「二の丸」が営業されていた。そこに通ずる当時としては「日本一短い」ケーブルカーが運行されていた。現在、駅ホーム跡と軌道跡が残る。 作家辻原登は、短編「午後四時までのアンナ」や「天気」で、二の丸旅館や、ケーブルカーに言及している。」「1954(昭和29)年8月開業、丹鶴・二の丸間、0.1キロの鋼索鉄道、営業は新宮観光、正確には72メートルの距離、約1分の乗車。土木工事を含めた建設費は約1800万円。大人片道30円と当時は割高であったが、長年この料金。開業当初は利用者が年間5万人以上あり、夏季は天守の広場でビアガーデンが営まれていた。 旅館閉鎖により運転休止に追い込まれたが、1980年11月美智子皇太子妃(当時)が南紀を訪れた際、急遽二の丸で休憩することとなり、旅館とケーブルの整備が行われ臨時運転され、これが最後の運転となった。」とあります。新宮観光協会のホームページの新宮城跡(丹鶴城跡)には軌道跡のマップと、「かつて鐘ノ丸跡では旅館が営業していたことも。天守台に向かう坂道にはその名残のケーブルカー起動(原文ママ、正しくは軌道)跡も見ることができます。駐車場から石段を登ると天守台と本丸跡に到着。本丸の北側からは熊野川と熊野大橋の眺望が開けます。」との説明が載っています。丹鶴駅の跡地には石碑がありますが、これはケーブルカーとは全く関係の無い「電話の自動化二十周年記念樹」の石碑でした。ケーブルカーの運行終了の約2年後に丹鶴駅の跡地に植樹されたみたいですが、どの樹が記念樹なのか分かりませんでした。