直方市の文化財、歴史を感じる旅。
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| 名前 |
鉄牛庵・日本庭園 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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日本の産業革命をエネルギーである石炭で支えた福岡県直方市に昭和前期に建てられた旧奥野医院の病院棟(洋館)、大正時代に建てられた旧奥野家住宅主屋(和館)などからなる国登録有形文化財です。平成四年(1992)、奥野医院は明治屋産業の創業者・故谷尾欽也の所有となり私立美術館として開館、その後、建物・コレクションすべてが直方市に寄付され現在は市立「直方谷尾美術館」として運営されている。その細長い敷地の東奥に、奥野医院時代に建てられた茶室「鉄牛庵・てつぎゅうあん」昭和十六年(1941)建築があり、茶室の南側には露地が控えている。庭の広さは目測で100平米ほどだろうか。露地は東を築山で、西南北を建物で囲まれた坪庭である。平成十年(1998)に新館が建設された際、露地の西に面する和館の仏間の縁側が改装されて新館と茶室エリアをむすぶ連絡通路になった。この連絡通路の露地に面する窓は現在ではアルミサッシに換えられているが、元々は近代和風建築に特徴的なガラス障子の掃き出し窓だったはずで、そこから露地に出入り可能であった。現在もサッシの外側に靴脱ぎ石が残されており、その先には飛び石が露地を斜めに横切って茶室へと続いている。つまりそれが茶室へあがるための正式なルートである。また、この露地は仏間から眺めることを前提にしていたので、本来は仏間の廊下であった新館通路からの景観が最も美しい。まず前景には丸い「タマモノ仕立て」の低木類をおき、中景はやや大きなツツジや「タマモノ散らし」「生け垣」などに仕立てた中型の常緑樹を、そして後景である築山の上には高木のモッコクがそびえ立っており、セオリー通りの前景・中景・後景のバランスのとれた秀逸な庭園景観である。また築山があるおかげで小さいながらダイナミックなスケール観のある庭ともいえるだろう。石造景物は明治大正期に流行した利久型灯籠・中小2基が据えられている。その意味においては茶室より露地の作庭の方が早いのかもしれず、既存の庭を後から建てた茶室の露地として兼用したのかもしれない。生け垣の陰の目立たない場所に丸い自然石に水穴を掘った手水鉢を据えた蹲があり、その後ろの葉蘭の植え込みに荒く削られ丸い穴が空いた角柱が一つ立てられ、手洗いの外の竹縁の先に円柱状の「橋杭型」縁先手水鉢が置かれている。築山に積み上げられた石積みは大変魅力的なので、それがよく見えるように植栽の剪定をすれば庭全体としての見栄えが良くなると思う。2022/08/10(令和四年八月十日)