毘沙門阪の秋、正岡子規句碑巡り。
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| 名前 |
正岡子規句碑「牛行くや毘沙門阪の秋の暮」 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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正岡子規句碑「牛行くや毘沙門阪の秋の暮」〒790-0004 愛媛県松山市東雲町3丁目14ロープウェイを降りてきてから、警察署前駅に向かう途中にあります。かつて、この辺りを正岡子規も散策していたのかと思うとちょっとだけ、歴史を感じます。松山市教育委員会の案内板を文字起こししておきます。牛行くや 毘沙門阪(びしゃもんざか)の秋の暮正岡子規(一八六七―一九〇二 慶応三年—明治三五年)漱石の仮寓「愚陀佛庵」で病後療養中の子規が、明治二八(一八九五)年九月二一日土曜日の午後、中村愛松(松山高等小学校長)、柳原極堂、大島梅屋(ばいおく)(同校教員)の三人の松風会員に誘われるまま、病院下(今の東雲学園下)から、毘沙門坂、六角堂、千秋寺、練兵場、杉谷町と散策したときに詠んだ二四句中の二句目。ここは城の鬼門(東北)に当たるため、城の鎮めとして、昔、毘沙門天が祀ってあったので毘沙門阪の名がある。子規『散策集』所載。松山市教育委員会『俳句の里 松山』