伝説の物語に触れる道。
福智王の姫君の墓の特徴
西暦600年の百済滅亡にまつわる記録が残る重要な場所です。
禎嘉王と福智王の伝説が息づく歴史を感じられます。
辺りに何もない道に隠れたスポットで注意が必要です。
辺りに何もない道で注意して見てないと通りすぎてしまうスポットです。あまりにひっそりとしていて、ここが福智王姫君のお墓だとは誰も思わないと思います。
| 名前 |
福智王の姫君の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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禎嘉王と福智王の物語はそのような名前は日本書紀などに出てこないので「名前としては」伝説だと言われていますが、西暦600年に百済が滅亡した際に唐、新羅の追手から逃れるたのに一族を引き連れて日本に渡ってきた人々がいたことは記録に残っています。宮崎のこの地は中央から離れ安全な辺境なので隠れる場所として選ばれた可能性もあります。そう考えると「実名」を隠した可能性もありますね。実はその後、百済王族の末裔は当時の朝廷で従三位の位にまでなったという記録があります。特に恒武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)は百済の武寧王の子孫だと『続日本紀』に書いてあります。