つるぎ町の柴田勝政公墓所、バイク旅の寄り道。
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| 名前 |
柴田勝政公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「つるぎ町:柴田勝政公墓所」2025年6月のバイクツーリングで立ち寄りました。大きな岩に複数の石碑などが張り付いています。史実というより伝承に基づいたお墓です。柴田勝政については文献に残る記録が少なく、具体的な人物像や功績は不明な点が多いです。調べてみると、柴田勝政(しばた かつまさ、公には「勝安」とも)は、柴田勝家の養嗣子であり、実父は勝家の弟・柴田勝義とされています。勝家が織田信長の重臣として北陸方面を任されていた際、勝政はその後継として期待されていました。しかし1583年、賤ヶ岳の戦いで勝家が羽柴(豊臣)秀吉に敗れ自害した際、勝政も一緒に討死したとされてきました。一方で、徳島県つるぎ町貞光の江ノ脇薬師堂には、勝政が落ち延び、「柴野忠三郎」と名を変えて余生を送り、1641年に亡くなったという地元伝承があります。ここがそのお墓です。この墓所は、地元の人々によって大切にされており、柴田家の遺臣が主君の死を偲んで建てたとも言われ、戦国武将の知られざる後日譚として興味深い場所です。