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この彰功碑は、明治時代に製塩業の再興に全力をつくした秋良貞臣(あきら さだおみ)の功績をたたえて、防長塩業組合が建立したものです。秋良貞臣は、阿月(現 柳井市)領主 浦靭負(うら ゆきえ)の重臣 秋良貞温の子で、天保12年(1841年)に生まれました。慶応2年(1866年)四境戦争 大島口では、真武隊総督として阿月兵を率いて幕府軍を撃破しました。明治10年(1877年)町田梅之進の明治新政府に対する反乱を鎮圧しました。県庁軍(隊長:秋良貞臣)と町田隊は、萩往還の一升谷で対峙。秋良貞臣は短銃で防戦し、町田梅之進を自害させました。その後は、製塩業の再興に全力をつくし、十州塩業会社を設立。阿波、讃岐、伊予、播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、十州の塩田業者を団結し専売法を施行しました。明治20年(1887年)には、ロシアのウラジオストックに渡り、食塩輸出の道を開きました。明治38年(1905年)4月、65歳で亡くなりました。