赤煉瓦壁が魅せる歴史の一面。
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| 名前 |
興業舎第一工場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治初期に柳瀬「興業舎」が建てた工場の一部で、赤煉瓦壁がこの一面だけ残っています。戦時中の空襲も生き延び、今では「奇跡の壁」と呼ばれています。今治綿業の始祖である矢野七三郎が興した近代産業の記念碑的な遺構とも言えるでしょう。この壁が取り壊されてしまう危機にあるそうです!私も今治城に向かう途中で偶然見かけただけなのですが、歴史的価値は非常に高く、お城のすぐ近くにあって、観光資源としても大いに活用できると思いますので、ぜひ、公費にて保存を進めて欲しいです。オンライン署名も行われておりますので、ご協力を。《解説》柳瀬義富は1886年(明治19年)弟の長男である矢野七三郎の理念に共感し、七三郎を社長に据えて「興修舎」を設立しましたが、1889年(明治22年)七三郎が非業の死を遂げてしまいました。1892年(明治25年)柳瀬は七三郎の意思を引き継ぎ、「興修舎」を「興業舎」と名前を変えて事業を始めました。そして、その手腕を大きく発揮し、事業の基盤を強化し、販路の拡大や技術革新に注力することで、今治の繊維産業をより近代的なものへと成長させました。