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「南無阿弥陀仏」と書かれています。この石碑は、享保の大飢饉で餓死した人々を供養するために、戸田の光西寺8世智観法師が建てたものです。享保17、18年(1732、1733年)2年続きの米の大凶作で飢饉となりました。戸田の人々は湯野へ、湯野の人々は戸田へ行けば食べ物にありつけるだろうと、痩せ細った身体でこの道を歩いて向かいました。しかし、途中で力つき亡くなる人や、たどり着いても食べ物はなくあまりの辛さに川に飛び込み自ら命を断つ者もあったということです。