農業の真髄、五面で発見!
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| 名前 |
地神塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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剥落してる箇所と逆光で不明な箇所もあるのですが、5面に「農業??天照大神」「農業???大神」「五穀護神大己貴神」「五穀祖神少名彦」「五穀神倉稲魂命」「土御祖神埴安姫」と刻まれています。以下、『四国の民間信仰』(明玄書房、1980年)から引用です。ーーーーー金沢 治:著◎徳島県第4章 農耕儀礼2 地神さんp.43〜45地神さんは、県内のいずれの地方にも存在する。まさに隈なくある。石材の五角形(図24)の柱状である。五面には「天照大神」「埴安姫神」「倉稲魂神」「少彦名神」「大己貴神」の五神名が刻まれているが、「天照大神」は「天照皇大神」となったり、「大土御祖神」と刻まれたものもある。また「埴安姫命」「倉稲魂命」「少彦名命」「大己貴命」と刻まれたものもある。加えて、「天照大神」と刻まれた面が北に向けられていて、土地不案内の者には方位を知るのに便利になっている。地神さんの石柱は、約70センチ立方の石づみの上に、もう一つ、五角形石柱と同質の石材で、高さ15センチ、幅30センチくらいの台が重ねて乗せられて、この台の上に地神さんが祀られている。地神さんを立てる台の形は、円形のものもあれば、四方形のもの、五角形のものもある。正方形を下に、五角形を上に、二重の台のものもある。地神さんの五角形の石柱は、高さ45センチ、五角形の1面の幅は12センチくらいである。県内の地神さんは、だいたい同形であるのは、寛政の初年に藩は、地神さんの信仰と地神さんを建立することを奨励したのである。そのために、県内の隅々にまで、同じような形で点在しているのである。明治維新後も「社日休奨励之事」と題するお触れが民政部名で発せられている。地神さんの祭りの日を社日という。社日は、春分・秋分にもっとも近い戊[つちのえ]の日があてられる。この日当家は、地神さんの四方に若竹を立てて注連縄を張り、地神さんに、酒・米、その他野菜を供えるのが普通である。春の社日には、「五穀の種子」を、秋の社日には、「初穂」を供える地方(那賀郡相生町」もある。当家は、飯を重箱に入れて持参し、地神さんにお参りした人々に少量ずつ、分配する地方(三好郡井川町井内)もある。もちろん、この飯は地神さんにお供えしていたものである。古くは、社日に神社の中や地神さんの近くで、芝居などが催されたという。社日は、農休日である。それは田畑に入ると、地神さんの頭を踏むからという。地神信仰は、社日に限ったことではない、正月に特にお参りする地方(徳島市八万町中津浦)もあり、その他、県内いずれの地方でも、地神さんに常に常に白米がほんの少量ではあるが供えられているのは、常に信仰されていることを物語っている。事実、農家では何かお祝いごとがればお参りするのが常である。また立春から数えて第5の戌の日を春の社日とする地方(海部郡海南町)もある。社日と彼岸の中日が同じ日であれば、中風のまじないになるといって、鳥居参りを行う。このときの鳥居は、石の鳥居でなければならない。