紫陽花が彩る涼しげな手水舎。
若江神社の特徴
紫陽花が美しい花手水が魅力で、SNS映えするスポットです。
立派なシイノキが神社を守り、こぢんまりとした雰囲気があります。
銀幣社龍の手水舎があり、訪れる人々をほのぼのとした気持ちにしてくれます。
紫陽花の咲く頃になると手水舎に地元の方々が育てている紫陽花を入れられていてとても綺麗です。
手水舎に紫陽花が可愛らしく並べられていました。敷地内は木が生い茂っていて、もう少し手を加えられたら参拝される方も増えるんじゃないかと思いました。
きょうはとても暑い日でしたが紫陽花の花手水がとても涼しげでした。☺️地域のボランティアの皆様今年も良いものを見せていただきありがとうございました。
2024年6月17日月曜日ネットニュースでみた花手水が素敵だったので是非とも見に行こうと休みの計画をたてて向かいましたが寂れた神社で雑草が生い茂り石碑の周りはどくだみとか生えてました。😅花手水はあじさいが浮かび周りの花壇にもあじさいが植えられていますがこの辺りはお手入れもされて綺麗でした。駐車場からも神社へ入れますが社務所横を抜けて行く道になりますので鳥居側から入りましたがお社は立派で良く参拝する伊那波神社の黒龍さんよりも大きく立派です😃説明文をみれば読みにくい箇所もありましたが合祀されている神々がえっ👀⁉そんな神様もまつられているのと帰りは社務所横を駐車場へ向けて通り抜けましたが使用不可な簡易トイレがあったり、倒れ真横になったたぶん梅の木から枝葉が出ているのをみて早春なら花見ができたなぁと来年に期待もみじの木やしいの木もあるので秋も楽しめるかもしれないですが6月の今はヤブカも多く何ヵ所か刺されて痒くなりました。😅参拝者駐車場は砂利にロープ張りを目視で28台ですが消防用の枠も社務所側にあるので参考までに。
紫陽花がキレイでした^_^
花手水が美しいです。蟻が大量に涌いてたのが気になりました。蚊もいますので虫除け必須です。
広い敷地を持つ神社です。境内にあるクロガネモチとシイの木が岐阜市の保存樹になっています。駐車をできそうな場所もたくさんあります。車止と書かれた先には停車しないように気をつけましょう。主祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。全国にある八幡神社と同じ祀り方をしています。というのも、江戸時代には若宮八幡宮と呼ばれていたそうで、若江という変わった名前になったのは明治時代からだそうです。なお、名前の由来は不明です。しかし、若宮八幡と呼ばれる神社には仁徳天皇を祀ることが多いのですが、なぜか応神天皇しか祀られていません。このようなことが起こる神社は大抵長い歴史があります。この神社も例外ではありません。醍醐天皇が生きていた時代に書かれた書物に社名が書かれており、少なくとも1100年以上前の時代に建てられたという、長い歴史があることが分かります。銀の御幣を使用して祭事をする、銀幣社という高い地位も持ち、歴史相応に信仰を集めています。
紫陽花の季節、SNSで花手水舎の写真が、滋賀県の方々から良く上がる様になっています。時期が時期なら、一目散で向かうところですが、ちょっとこの時期は控えています。と言うことで、地元にも花手水が無いかチェック。すると、南宮大社と今回の若江神社の2ヶ所がヒットしました。南宮大社は1日、15日の限定の様です。と言うことで、若江神社へ行くことに。さて、無料の大きな駐車場があります。梅雨時期もあり、草がソコソコ茂っている感じ。先ずはお参りして、花手水舎へ。龍の口から紫陽花の水手に流れます。写真を撮ってると、2人の女の子を連れたお母さんが来て、紫陽花の花手水で、スマホ写真を撮っていました。久しぶりの梅雨の中の晴れ間。久し振りの散歩だったかな?そんな地元の小さなお社の若江神社でした。
こぢんまりとした、雰囲気のありろ神社。花手水が綺麗です。
| 名前 |
若江神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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若江神社(わかえじんじゃ)。岐阜県岐阜市西改田東改田入会地字海渕。式内社(小)、旧郷社。江戸時代は「若宮八幡宮」と称していた。主祭神:應神天皇 氣長足姫命 玉依姫命【関係氏族】若江氏資料によると、創祀年代は不詳。神社鎭座地に接して西に、以前は泉が湧いて居り、渦をまいて池をつくり、流れとなつて南へ押し出していつたという。この地を開拓した若江の一族が水源に神社を建ててまつつたのが若江神社の発端であろう。一説に、昔は、当社の北東500mの若宮という地に鎮座していたという。明治5年に郷社となったさい、若江神社に改称。とあります。参考として、西改田東改田入会地と言う、この開拓地を示す地名が現在まで使われている様です。地名から想像するに、改田は開田、つまり、田畑を開拓した地である様で、古代から水利や地勢に基づいた集落形成があり、渡来系の人々が渡来した時期には水田開発なども行われたと考えらます。若江氏の一族がこの美濃平野の奥域の地を開拓し、水源となる泉を祀って神社を建てたのでしょうか。若江氏の該当として、百済から渡来した張氏の後裔氏族。姓は造。氏名は河内国若江郡(大阪府中河内郡の一部)の地名由来する。若江造の氏姓を賜ったのは天平宝字五年(761年)のころと推測されるとあります。河内国若江郡とありますが、当地にも関係一族が来ていた様な気がします。