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高垣の地名は高柿寺があったところとも、大きな柿の古木があったところとも言う。現在は、高柿神社が祀られてあるが、社殿南側に四つ石とい残されている。かっては、山王権現、地元では山王さんと呼んでいるが、叡山から「位が上がったか」と手紙が来たこともあると言う。大きな姉の古木があって、その枝は西植田町の数合までとどいていた。柿の古木で古木で屋島寺を建てようとしたが、反対する者があって一夜のうちに木は運び去られる。この柿の木を切るときは天狗たちが手伝いに来たと言う。また、切り倒した柿の枝が高様までとどいていた。高様川のほとり、久保家の地先きへ柿の一の枝がとどいていたので、そこへキツサキの宮を祀ることにした。柿の木も古くなると黒柿となり寺建立の材とする。その尊い黒柿の一の枝がとどいたところは粗末にできないとされる。なお、「讃岐府志」などには高垣寺という文字を記してある。地元では高い大きな柿の木の伝承が濃く、高柿寺という。香川県史14巻民俗編480P