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| 名前 |
西泊番所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
江戸幕府は、長崎港警備のため寛永18年(1641)筑前黒田藩、翌19年(1642)佐賀鍋島藩の2藩に港口の西(にし)泊(どまり)、戸町に番所(陣屋)を設け隔年交替で勤務に当たることを命じている。長崎港の東西に設置。戸町番所は寛永19年(1642)佐賀藩主鍋島勝茂によって完成している。両藩では西泊に中老1人を総帥として在任させ戸町には次席の番頭をおき、両番所に士卒500余人ずつを交替で駐屯させた。この両番所は元治元年(1864)に廃止されるまで200余年にわたってわが国国防の第一線として使命を果たした。当時の番所は三菱長崎造船所敷地内となったため北西位置に移転している、駐車場は無い。以前は木造の市立西泊中学校がありました。