手力雄神社の火祭り、迫力満点!
手力雄神社の特徴
岐阜市蔵前に鎮座するてぢからさまを祀る神社です。
毎年4月第2土曜日に行われる手力の火祭りが大迫力です。
明治時代の狛犬が並ぶ境内は静かで歴史を感じる雰囲気です。
見所が多い、素晴らしい神社です⛩️今回時間があまりない中でしたが、そんなちょっとの時間でも拝見出来る本殿の龍は圧巻です。また、社務所では5つの御朱印を授かることが出来ました。毎月1日と15日限定の御朱印もあるとのことで、改めて参拝したいです。
4/13火祭り火柱、爆発音等、すごい迫力!小さなお子さんはびっくりして泣いてたりする。遠くから見ると知らない人は火事だと思うことも。出店も多く、すごい人の量。祭りが戻ってきたという感じ。
参道を二の鳥居・三の鳥居と歩いて神社まで向かいました‼️正面鳥居から本殿まで境内の中を一直線に結んでおり、その光景の重厚な雰囲気に驚きました👀‼️👀‼️
今年は天気も良く最高の 初詣日和で たくさんの 参拝者でしたよ。多くの人が 参拝に 見えてました 。 今年は皆が良い年になるように健康でいられるように願いたいです。
岐阜市蔵前に鎮座される「てぢから さま」御祭神「天手力雄命(あめの たぢからおの みこと)」火祭りで知られている神社毎年4月第2土曜日に開催(ここ2年はコロナ禍の為中止、令和4年の開催も縮小して・・・感染対策とり密にならないように実施される予定だそうです)始まりは不明だそうです。明和年間(1764~1772)村の頭百姓と火打拓之丞(ひともし たくのじょう)とが争論(裁判)になったため、中断。文化二年(1805)争論が収まり再開した。と記録があるそうです。鉄砲火薬とは関係なく、全国各地の農村では手作りの花火が行なわれてたそうですが、昭和三十年代には各地の花火が中断する中で手力雄神社の花火は珍しくなったそうです。祭神事は『十三町内奉納の御幣行灯』『火祭の華 半鐘』『手筒花火』は壁のように打ち上げられ、『瀧花火』の火を受けて『神輿』も火を吹いています。圧巻の火祭りです。この伝統継承するには中断期間が短い事が重要だと思います。火を扱うのは直ぐに出来るものではないです!!1日も早くコロナ禍が終息することを願うばかりです。(2022/4/2)
名鉄各務原線の手力駅から徒歩10分ほどで行ける神社です。神社の隣に公園(遊具はないので広場かも)が併設されてます。各務原市にある手力雄神社と名前が同じですが祀っている神様が違うみたいです。ですがこちらもパワースポットみたいなので気になる方はお参りしてみるといいかもしれません。
氏子さんや近くの町の人達に、大切にされてる事がよくわかります。県道岐阜那加線に参道が繋がっており、車で走っていると紅い鳥居がパッと現れるので、そのまま進んでも良いのか少し不安に😝 今は修繕中!安全運転で!
【勇壮な祭りも今年は中止】その中を、裸の男衆が半鐘を打ち鳴らしながら突進していきます。吊るされた籠から滝のように流れ出る火の粉は容赦なく裸の男衆に降り注ぎます。担いだ神輿にも花火が仕込まれ火の粉を噴出します。足元には、相変わらず爆竹が投げ込まれます。爆竹の音と、半鐘の甲高い音で三半規管はとっくに正常機能をしていません。「クレイジー」そんな言葉がぴったりの手力火祭です。例年ですと、桜散る4月2週の土曜日に開催されます。当日正午、花火の音が少し離れた我が家まで聞こえ夕方頃会場に向かうと各町からたどり着いた飾り神輿と爆竹の嵐で、高揚感は急上昇打ち鳴らされる半鐘の音で、判断力は、奪われます。毎年は次のようなスケジュールで進みます14:30 町内ごとに長持の入場開始18:45 飾りみこし入場終了19:00 御幣行灯に点灯19:25 滝花火に点火・各町内の飾りみこしの競演20:30 仕掛け花火に点火20:35 手筒花火に点火21:00 仕掛花火、山焼花火に点火21:10 終了神話に登場する、祀神、天手力雄神に捧げる勇壮なこの祭りは、300年余の歴史があり1760年頃からの記録が残されている伝統的な行事です。岐阜県重要無形文化財にも指定されています。この神社の歴史は、飛騨の夷(えみし:異民族)から美濃の地を守る「比奈守神社今手力雄神社」とし創建されました。朝廷より力持ちの祀神:手力雄神を分祀していただきました。貞観2年(860年)この地に鎮座戦国乱世、長森が戦略上の要所とし度々戦火に見舞われます。手力雄神社鎮座地は木曽川渡河の要所で信長父子は数次に亘って当所を攻めますが湿地帯で大軍を使えず、都度断念。墨俣で陽動作戦を行う一方、鵜沼、前渡の川並衆を調略しようやく美濃の攻略に成功しました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに際し当社を祈願所としていた織田氏が西軍についたため徳川家康の襲撃を受け、神体などごく一部を除き全焼しました。元和年間(1615年~1624年)に本殿・拝殿などが再建明治13年(1881年)幣殿・拝殿、再度造営平成20年(2008年)現在の社殿が新築されました。歴史あるこの火祭も今年は開催されませんでした。友人もこの地でこの祭りを支える一員として毎年参加しています。この地域の人は、高校に入学すると危険物の免許をを取得し神輿や仕掛け花火の製作に携わるそうです。氏子さんの苦労は一入でしょう。この勇壮な祭りが後世に受け継がれて行くことを切に願います。
手力雄神社(てぢからおおじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社である。岐阜市の手力雄神社は、貞観2年(860年)、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。手力雄神社は長森13ヶ村の郷社であり、那加手力雄神社は那加13ヶ村の郷社である。隣社という以外何の関係もない。春の大祭は、火薬や花火を仕込んだ神輿を裸男が担ぎ、火の粉を浴びつつ境内を練り歩く豪壮なもので「火祭」として著名。300年余の歴史を誇り(火祭の神事は、昭和34年まで秋の大祭の一環として行われていた)、岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている。
| 名前 |
手力雄神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-245-2520 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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手力雄神社(てぢからおじんじゃ)。岐阜県岐阜市蔵前。式内社(小)比奈守神社(ヒナモリノ)の論社、旧郷社。式内社の美濃国厚見郡・比奈守神社とされている。同じ岐阜市内、茜部本郷の比奈守神社の方がとの説があるが、現在の「比奈守神社」は明治元年「飛騨守神社」が改名したもの。当社は新撰美濃誌には「比奈守神社今手力雄神社といふ」とある。主祭神:天手力雄命資料によると、社伝によると貞観2年(860年)に鎮座したと伝えられる。一説では、比奈は飛騨または夷のことであり、大和朝廷の最前線の守りの場所であったという。古来、都に軍勢が上る時、東海道より東山道(後の中山道)に移るには木曽川渡河点として必ず長森を通ることから美濃側の防御拠点として御鎮座。後に土岐頼遠が長森城を築くも同趣意。延喜式に「鄙守神社」(ひなもり神社)とあり、美濃雑事記に「ひなもり神社、いま手力雄神社という」とある。以来平時は洪水を抑え、干天には慈雨を賜い、良民を慰撫し、長森は花園天皇の代(南北朝)まで皇室領であった。一説ではこの地が木曽川の渡河点として重要であることを坂上田村麻呂が気づき、この地の防御点として築いたとされる。弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、この場所で木曽川を渡るしかなかった。従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、湿地帯であることから大兵を用いることができず、断念。墨俣で陽動作戦を行う一方、鵜沼、前渡の川並衆を調略し、舟で各務原に渡った。信長公記には「新加納に布陣した。」とある。1952年(昭和27年)10月に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受ける。とあります。参考として、岐阜県各務原市の那加手力雄神社の祭神の天手力雄神は、戸隠神社の影響が強いといわれている。事実、本殿の軒に龍の彫刻があり、龍に関わる話が伝わっているが、これは戸隠神社の九頭竜社の影響という。当社、岐阜市の手力雄神社は、貞観2年(860年)、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。手力雄神社は長森13ヶ村の郷社であり、那加手力雄神社は那加13ヶ村の郷社である。とあります。