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| 名前 |
神崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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本により城跡の紹介文を調べてみる。❷【参考 讃岐の城跡 1991年】神崎城香川県史(明治43年版)によれば「神前出羽正元 享禄3年(1530年)此城ヲ築キ神前郡ヲ領シ之ニ居シ、寒川氏ノ属士ナリ」とある。また、地名辞典に「神崎宮内にあって神崎氏が居城し、寒川氏の被官となっていたと伝える」とある。この2つの文章と、町史の「しらかた城」とは同一のものと考えられる。しかし傍証がないので確定し難い。後記の常隣城の東南150mほどの地点、宮内自治会集会場、専立寺のある一帯で、昔周囲を覆う松の大木があったと古老達はいう。勿論遺構そのほかはつまびらかでない。城主は「神前出羽守正元」である。__________❶【参考 古今讃岐名勝図絵 昭和5年】神前城跡(昭和5年の書による)[所在地] 神前村宮内にあり「神前_出羽守_正元」が享禄3年(1530年)この地に城を築いて神前郷を領して居す。寒川氏の属士になり後に長尾名村に移れり。正元(の)男、源三郎重政、寒川氏の女をめとるがゆえに天文9年(1540年)安富氏,、寒川氏と合戦のとき、寒川氏に属して軍功あり。今同村の士 国方甚五右衛門は其裔也。とある。いま同村の「国方甚五右衛門」はその末裔である、とあるので、興味でちょっと調べてみると、寛政6年4月に土地の売買で「田畑林質物証文之事」というのが残っていた。1794年(寛政6年)あたりに書かれた文章であるようだ。