若山八幡宮で伝説に触れる。
若山八幡宮の特徴
若山八幡宮の御祭神は足仲彦命と息長足姫命で、歴史を感じます。
拝殿には若山八幡神社の由緒が掲げられ、興味を引く内容です。
坂出市府中町の綾川の東側山裾に位置し、自然と調和しています。
● 若山八幡宮この神社の御祭神は、・足仲彦命(たらしなかつひこのみこと) 第十四代仲哀天皇(応神天皇の父)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后(応神天皇の母)・譽田天皇(ほむたのすめらみこと)神功皇后 第十四代応神天皇拝殿に掲げられた「若山八幡神社の由緒」には、このような紹介がされている。『このお社は、通称若山八幡と呼ばれ、御祭神は八幡三神の仲哀天皇、神功皇后、応神天皇をお祀りしています。創建については、長和から長元年間(1020年頃)、中納言・藤原宅成、又は、永世から天喜年間(1050年頃)時の国司・藤原家経によって京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し、城山の社を本宮に、この社を新宮としたという、二、三の説が伝えられています。源頼朝は、武神として八幡神を尊崇し、これによって各地に祀られ、讃岐でも一郷一八幡に始まり、今ではその数100社を越えて祀られています。村社として、神饌幣帛料供進神社(県の補助金が出た神社)として由緒深いお社で、宝物として文化四年(1807年)再建の棟札が残されています。又、末社として境内に地神社、境外には猿田彦社が祀られています。』「八幡神社(若山八幡宮)改築記念碑」にはこのように紹介されている。このお社は永承五年(1050年)より天喜元年(1053年)まで讃岐の国司であった藤原家経により建立されたと伝えられる。戦の神、守護神といわれ八幡信仰全国四万余の八幡社の一つである。一説に藤原氏が城山神社を本宮(ホンミヤ)八幡神社を新宮(シンミヤ)と呼んだのが初めで、その後地元の氏子等に若山八幡宮と呼ばれ親しまれる。神徳は五穀豊穣や勝利祈願、家内安全、厄除けなど氏子の守護神として崇拝されている。「題字 乃木希典の石碑」 明治36年(1903年)3月建立境内には、明治二十七八年の役(日清戦争)( *1)に従軍した讃岐綾歌郡府中村出自の二十人を褒め称えた石碑があり、題字は乃木希典(のぎ まれすけ)氏(*2)、 撰文・書は香川県立丸亀中学校(現在の丸高)教諭 三土幸太郎・伊藤三郎の両氏によるもの。*1 日清戦争(にっしんせんそう)は、明治27年(1894)7月から明治28年(1895年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国(1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝)の戦争。*2 乃木 希典(のぎ まれすけ)(1849年12月25日 - 1912年9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名。日清戦争では旅団長(陸軍中将)、日露戦争では陸軍大将)として出征。
| 名前 |
若山八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE-11/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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坂出市府中町の綾川が蛇行し最後の北側に向きを変える東側の山裾に有ります。平安時代に城山神社の若宮として祀られた様です。こじんまりとした社ですが綺麗に掃除されており気持ちよく御詣り出来ました。また、この神社は明治時代の日本帝国陸軍大将、乃木希典の文字の石碑(従軍記念碑)が有ります。乃木希典は善通寺第十一師団の師団長として讃岐に来られてましたから、このような史跡が残っているのでしょう。ただ駐車場が無くすぐ左側に坂出養護学校の入り口の坂を上がるとすぐに若宮神社の入り口が有りますが鎖が有り入れません。鎖の所に一台ぐらいは駐車出来ました。