西庄城跡の河口景色、歴史と美しさを体感!
西庄城跡の特徴
西庄城跡は綾川の河口にあり、美しい水田に囲まれています。
静かな環境で、歴史を感じることができる場所です。
自然の中でゆったりと過ごせる、心安らぐスポットです。
西庄城跡は綾川の河口に位置する水田中にありました。こんもりと樹木、女竹の繁茂した5aほどの区画に香川民部少輔の兜塚があるのみで城跡としての遺構を示すものはありません。東に雄山(高屋城)、西に聖通寺山(聖通寺城)が望まれます。天正六年(1578年)夏、羽床伊豆守資載は香西伊豆守佳清との内紛から綾北の勢力を味方に引き入れ領国の拡張を計った。資載は滝宮城(滝宮弥十郎)、征木城(滝宮豊後守安資)を勢力下に入れ西庄城を攻めました。香川民部少輔は備後、三原城主の小早川隆景に援軍を請い窮地を逃れた。隆景は西庄城の南側、金山北麓の天王城に陣したと云う。天正七年(1579年)土佐の長宗我部元親の軍勢は羽床城を陥落させ、その後長宗我部元親は西庄城へ降伏勧告を出すが民部少輔は受け入れず備後三原に落ちのびました。元親は羽床氏の家臣山内源吾に数百人を与え西庄城を守備させる。これにより一時期山内城と名のる。長宗我部元親軍退転後、再び民部少輔が拠った。ここ西庄城は讃岐国の経営上、通有の山城と異なる性格を持つ重要な拠点であったと思われます。ちなみに香川民部少輔は秀吉の九州征伐に加わり、豊後戸次川の戦いで討ち死したとされる。この民部少輔の鎧を家臣の宮武源三郎が持ち帰り墳墓を築き菩提をともらいました。後にこの塚に榎の大木が生え、依って里人は大木殿とこの塚のことを云う。
| 名前 |
西庄城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
場所が違いますね。