大磯町の静けさを感じる邸宅。
| 名前 |
清水徳川篤守伯爵別邸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
〒255-0005 神奈川県中郡大磯町西小磯255 0005 |
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大磯町の閑静な住宅地になっているため、どの辺に邸宅があったか伺い知れません。・清水家徳川篤守…徳川御三卿の清水家10万石。水戸藩35万石藩主徳川慶篤の次男として小石川御門外(現在の文京区小石川)の水戸藩上屋敷に産まれる。兄は水戸徳川家を継いだ篤敬(あつよし)がいる。生後間もなく水戸領に帰され、水戸藩の藩校『弘道館』で教育を受ける。明治3年(1870年)叔父の徳川昭武(江戸幕府第15代将軍徳川慶喜公の弟)が水戸藩を継ぎ、当主不在になった徳川御三卿の清水徳川家を相続。既に大政奉還された上に、版籍奉還もされた後のため、元々の清水家10万石は召し上げられていたため、新たに明治政府より、従五位2500石を賜り、清水徳川家を相続する。同明治3年に次侍従に就任し明治天皇の近侍になり、明治4年(1871年)に名を徳川から清水に改名し次侍従を辞職し、英国に留学する。帰国後に再びアメリカ合衆国のコロンビア大学に留学し直し、法律学を専攻する。明治10年(1877年)に帰国し、外務省に入省し中国・北京公使館に勤務のため、中国に赴く。明治13年(1880年)帰国し、御用掛を辞職。明治17年(1884年)華族令が発布され、伯爵位となる。明治25年(1892年)自身の経済的な、行き詰まりで銀行からの融資が焦げ付き返済不可能になり、債権業者や銀行から裁判になり、敗訴。数万円(現在の寡兵価値でいう数億円)の莫大な借金を抱え込む。徳川一門の融資を受けて負債の返済に成功するが、明治31年(1898年)再び借金まみれになり、再び業者や銀行に訴えられるが、徳川一門は2度は助けてくれず、さらに新聞にも大スキャンダルとして報じられたため伯爵位に相応しくないため、体面を鑑みて、伯爵位返上し、明治35年(1902年)禁固刑となる。大正13年(1902年)、69歳で死去。アクセスJR東海道本線、湘南新宿ライン、上野東京ライン、大磯駅から徒歩15分です。