妙修寺古墳碑の神秘体験。
妙修寺古墳の特徴
妙修寺古墳には多くの箱式石棺が隠れている歴史の宝庫です。
平穏な丘の中で古墳の神秘さを体感できます。
円形の古墳と箱式石棺の見学が魅力のスポットです。
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箱式石棺2基を残している。境内入口から階段を少し登ったところにある。
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| 名前 |
妙修寺古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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妙修寺古墳碑 文この二基をはじめかなりの数の箱式石棺がこの丘を奥津域として眠っていると思われる。東棺には熟年の男性骨など二 体が葬られ、西棺は内部が丹塗され埋葬された熟年女性骨も丹に染っていた。共に北側に頭部を置き頭蓋骨などの保存も比較的に良好であったが副葬品や装身具は何ら発見されなかった。 人骨は長崎大学医学部へ研究資料として一旦送られたが再びこの地に手厚く埋葬された。箱式石棺は古墳としては構造上最も簡単な様式で、古く弥生式時代から用いられたものであるが、この石棺は安山岩の 板石を以て側壁と蓋石が組立てられ、特に側壁の一方は、追 加合葬を便にしたものか、板石を重ねており、群在するらしいことと相俟って、古墳中後期のもと推定される。また丹を塗るのは呪術的な習慣で、これが発展すると装飾 豪族の墳墓である隣接の大坊、永安寺の装飾古墳が営なま古墳の文様となるのである。六世紀の前後、営々として玉名平野の水田化に努力した 上流庶民が、玉名平野を一望に眺めるこの地を選んで、誇らしげにその家族墓を営んだものであろう。代表的な箱式石棺群として後世まで保存されるよう、文化財として指定された機会に祖先の功業を偲び、その霊を慰めるため碑を建立するものである。