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昭和37年7月8日、太良町はそれまでに経験したことがない集中豪雨に見舞われました。一昼夜の雨量が800ミリを超え、町内の河川は大氾濫を起こし、いたる所で山は崩れ、田畑は流されました。大浦亀ノ浦地区では権現山の南斜面が崩壊し、荒れ狂った山津波は一瞬にして大切な命を奪い去っていきました。この大水害は44名の死者と127名の重傷者を出す、過去最大の被害となりました。同地区では多くの住宅が全壊・半壊の被害を受けたほか、交通・通信網も寸断されました。医薬品や食料のほとんどが泥水に押し流され、無惨な状況となりました。しかし、町内消防団をはじめ、婦人会、青年団、育友会が総動員で救助、援助活動に尽力されました。また、自衛隊や警察等も出動し、行方不明者の捜索、鉄道や小学校などの泥を取り除く作業に従事し、地域住民と一体となって懸命に復興活動を行っていただきました。この日は日曜日で子どもたちは学校に登校していなかったため、直接的な被害はありませんでしたが、被害を受けた校舎を目の当たりにし、自然災害の恐ろしさを経験する忘れることのできない一日となりました。太良町HP参照大浦小学校裏にある「昭和37年7月8日災害慰霊塔」と同じく後世に残しておかないといけない自然災害伝承碑でもあります。