周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
本古墳は大入島荒網代の通称元ヶ鼻という島の東端58mの山上にあり、石棺は古松の根間に南北軸に安置されていた箱式棺である。長さ1.5m、幅0.6mほどの割石の組合式で、蓋は同質の緑泥片岩の石材をもってあてている。同石棺は、明治34年に村民によって発掘されたものである。古老の話では、石棺の中に鎧の朽ちた物や小刀が二振りあったが、今ではどこにいったものかわからないという。この石棺の傍らの雑木林の中には、「御刀大明神 昭和十二年一月吉日 丸山 誠次郎」と陰刻された石祠がまつられている。本古墳は、渡町台の宝剣山古墳(区画整備事業のため消滅)・下久部の岡の谷古墳・鶴見地松浦の古墳等と関連づけてみる必要がある。特に、石棺の形態、構造などから地松浦における古墳と同一のものと推定されるので、六世紀頃佐伯湾沿岸に原始的箱式石棺が築造され、この地域一体に広い勢力をもっていた豪族の存在をうかがい知ることができる。