スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
源氏山碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
寿福寺の山門近くに建っていました。なぜ、こんな所にと思いましたが、石碑によれば、源氏山の麓の寿福寺あたりは、かつて源氏の邸宅だったと伝えられているそうです。歴史的には、長元元年(1028)、房総で起きた平忠常の乱の鎮圧に失敗した検非違使の平山直方に代わり、源 頼信、頼義親子が平定。 直方は娘を頼義に嫁がせるとともに、鎌倉の屋敷や所領を譲り、これを機に源氏の勢力は、東国へと拡大。義家は、八幡太郎の異名を轟かせた勇猛な武士で、永保3年 (1083) 奥州攻めの際、 源氏山に白旗を掲げて陣容を整えた。以降、源氏山は源氏とゆかりの深い地となり、頼朝の父、義朝が屋敷を構えたのも源氏山の麓、寿福寺の寺域とのことです。頼朝が拠点として鎌倉にこだわった理由は、先祖代々受け継がれた地だったからなのですね。石碑には以下のようなことが書かれていました。「源氏山は、はじめ武庫山(むこやま)と言い、また亀ヶ谷の中央にあり、景勝がよいことから亀谷山とも言われていた。源頼義、源義家親子が東北地方に征伐に行く際、この山に旗を立てたことにより、旗立山とも言われた。山の麓の寿福寺境内付近は、昔から代々源氏の邸宅だったと伝えられている。源氏山の名前はそこからきたのかも知れない。旗竿を建てたと伝えられる跡が今なお残っている」