フィリピンの地に散華した英霊に感謝。
レイテミンダナオ島戦没者慰霊碑の特徴
歩兵第41連隊の歴史を感じる貴重な慰霊碑です。
英霊たちに敬意を表す場所として訪れる価値があります。
高木治郎氏の題字が刻まれた特別な場所です。
福山において編成され主に備後地区出身者で構成された歩兵第41連隊の慰霊碑です福山市に長くお住まいの方は御身内か御親類が第41連隊に所属されていたのではないでしょうか日露戦争以降の主な戦役に参戦した歴戦の部隊で昭和20年(1945)7月中旬頃フィリピンレイテ島カンポギット山で玉砕しました慰霊碑は戦後昭和58年(1983)4月歩兵第41連隊比島戦友会により建立され、正面の題字は元歩兵第41連隊第三大隊長高木治郎氏による揮毫です遠くフィリピンの地において散華した英霊達に感謝と敬意を平和に祈りを郷土に愛を日本に誇りを。
石碑文を読みやすく、其のまま書写します。顧みるに、わが歩兵第四十一聯隊は、過ぐる大東亜戦争に於て各地を転戦昭和十八年十月、東部ニューギニアより平壌に復員の後、新たに第三十師団の第一線部隊として編成され、十九年五月聯隊長炭谷鷹義大佐以下、三千二十六名は比島に出動、ミンダナオ島の防衛に任ず同年十月、米軍レイテ島に上陸するや、第一大隊及び第二大隊を基幹とする連隊主力は急遽出撃壮絶なる戦闘を展開するも、敵の膨大なる物量にわが前線もついに力及ばず、二十年七月レイテ島カンギポットに於て連隊長以下全員軍旗と共に祖国に殉じ、また、第三大隊はミンダナオ島ワロエ付近にて優勢なる米軍と指呼の間に対時、約半数の兵員を失いてなお激戦中八月十五日、終戦を迎え、連隊は明治二十九年十一月創設以来五十年に亙る反乱と激動の歴史を閉ずこの間、瘴癘蔓延の密林に拠り、悪戦苦闘の末、祖国の勝利と平和を念じ、故郷の骨肉の上に万斛の思いを残しつつ比島の山野に散華せる一千四百有余名の戦友を想うとき、万感胸に迫り断腸の念に耐えず、ここに我ら生還者及び有志相集いその昔 春秋に富む若き身を国難に挺して南海異境に戦い、一命を祖国の尊き礎として捧げ戦友の御霊を招事し、とこしえに鎮まりまさんことを祈念せんがため碑を聯隊発祥の地 福山に建立す歩兵第四十一聯隊比島戦友会建立元第三大隊長 高木治郎謹書備後護国神社の護持会発足2016年3月27日 発足先人への慰霊、後世に伝える会太田祐介代表年々と歳が過ぎ、慰霊碑を建立した帰還戦友者や遺族の人達は75歳〜80歳に達し、人数も減り管理や掃除の手入れが難しくなり、若い世代に引き続いて貰いため、発足しました。
| 名前 |
レイテミンダナオ島戦没者慰霊碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ミンダナオまで絞っているのは珍しきかな。神社内に掲示ないので見逃すところだった。その割には綺麗にされてて好感が持てるね。