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白旗神社の北側の小山役場のちょっと北にある熊野神社に、「伝_二条中将為冬(ためふゆ)卿」の首塚といわれるものもある。❶【参考 静岡県駿東郡誌 1917年】白旗神社(1917年の書による)[祭神] 二条中将為冬[神社設立の伝説]建武2年12月に足柄峠にて「竹の下合戦」といわれている合戦があった。この時、討ち死にした者の1人に、京都の文化人であった「二条為冬(ためふゆ)」がいる。朝廷軍は「尊良(たかなが)新王」を主将に、副将に「脇屋義助」を据えた軍で、総勢7千騎余り。それに順する「新田義貞軍」は6万騎余りであったという。それに対する「足利尊氏軍」は、18万騎の大群であったという。合戦は朝廷側がひとたまりもなく敗軍した、という。「二条為冬(ためふゆ)」は従士75名と共に、鮎澤川の下流をわたり、所領村に退ぞいて、農民である「藤太夫」の家に落ち着く。そこで「栗の赤飯」を食し「二条為冬(ためふゆ)」は自刃(じじん)して薨(みまか)った、という。従士75名は、ことごとく殉死したという。村人らは現場に埋葬し、墓碑1基をたてて「白旗大明神」とよんだという。その後、足利幕府の衰退に乗じて、長享年間(1487年~1489年)に社殿を造営した、とある。[神社の祭典]祭典には75基の幣帛(へいはく)を展し、「山折敷(やまおしき)」という器に萩の箸を附して、「栗の赤飯」を供するという。[社宝]従前甲冑(じゅうぜんかっちゅう・昔の形式の甲冑の意味)、刀剣類数点あった、というが次第に紛失し、わずか下記の数種をつたえる、とある。一、信国の銘刀 1口一、観音の像 1躯(つたえいうには、「胸懸けの像」とも、冑(かぶと)の中に納めたものとも言い伝わっている。)一、甲の破片一、色紙おちたきつおとさへいるは木かくれて 山したみずもこほる頃かな[沿革]長享年間(1487年~1489年)社殿の造営明治8年(1875年) 村社に列する明治43年(1910年) 神饌幣帛供進神社に指定される[鎮座地] 足柄村竹之下 小字_所領[社領] 219坪。