鹿町町口ノ里のお堂で心安らぐ。
| 名前 |
光明庵・口ノ里念仏講 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.sasebo.lg.jp/kyouiku/bunzai/documents/kutinosatonenbutukou.pdf |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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鹿町町口ノ里の棚田中腹にあるお堂。現在は鹿町町潮音院の末堂で、かつては平戸印山寺の末堂であったという。境内には三界万霊供養塔や相撲の土俵らしき小さな円形の盛り土などが見られる。光明庵に祀られている阿弥陀如来立像は佐世保市指定の有形文化財に、口ノ里念仏講は佐世保市指定の無形民俗文化財にそれぞれ指定されている。以下鹿町町教育委員会(当時)による案内板より光明庵の阿弥陀如来立像(木造)光明庵は潮音院の末堂であるが、その由緒等は不明である。天保十三年(一八四二)四月に堂の改築、大正九年(一九二〇)九月に再建の記録がある。その本尊が阿弥陀如来立像(木造)である。この像は、後に補修され原容が著しく損なわれているが、鎌倉期のもので像の高さ〇七七二メートルである。境内に三界万霊供養塔(安永六年・一七七七)と、大日如来塔(明治二十三年・一八九〇)がある。鹿町町教育委員会口ノ里念仏講安永年間(一七七二-一七八一)に起こった念仏講が今日まで受け継がれている。キリスト教の禁令が出され、信者探索が厳しくなったので仏教徒である証として寺を中心とする、念仏講、舎利講、大師講などが組織された。ロノ里の念仏講がこうした意味で始められたかどうかは定かではないが、鐘の銘から田平地方からきたものと伝えられている。行者の数も徳川時代には相当数いたらしいが、明治時代には五〜六人に減り、現在ではわずか三人になっている。なお、明治見に一時中止したことがあったが、たまたま行者に病人が出て「これは念仏講を止めた咎である」と再び始められたともいわれている。境内に三界万霊供養塔があり、安政六年(一七七七)二月八日と刻まれており、この塔の下の方に庄屋立石万助以下二十一名の名前が見える。これは念仏講の行者の名を刻んだものといわれている。この塔は口ノ里念仏講の起源を証明するものである。鹿町町教育委員会。