鶴が稲穂をくわえた、八握穂社の縁。
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| 名前 |
八握穂社旧跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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八握穂社旧跡八握穂社の由来は鶴が稲穂をくわえていたことから、懸税発祥の地とされる。明治40年、八握穂社は竹佐々夫江神社に合祀されて今は跡地となっている。鎌倉時代に書かれた倭姫命世記によると、(第11代垂仁天皇27年[戊午]の)また明る年秋のころ、真名鶴は、皇太神宮に向かって天翔り、北より来て、日夜止まずに翔り鳴いた。時は昼の始め。倭姫命は、異しまれて、足速男命を使に見させた。使が行くと、鶴は佐々牟江宮の前の葦原の中に還り行きて鳴いてゐた。そこへ行って見ると、葦原の中から生へた稲の、本は一基で、末は八百穂に茂り、(鶴は穂を)咋ひ捧げ持って鳴いた。使が見顕すと、鳴声は止み、天翔る事も止めた。かく返事を申上げた。倭姫命は、歓ばれて詔ふに、「恐し、皇太神入り坐さば、鳥禽相悦び、草木共に相随ひ奉る。稲一本は千穂八百穂に茂れり」と詔して、竹連吉比古等に仰せて、初穂を抜穂に半分抜かしめ、大税に苅らしめ、皇太神の御前に懸け奉った。抜穂は細税といひ、大苅は太半といひ、御前に懸け奉った。よって、天都告刀に「千税八百税余り」と称へ白して仕奉る。鶴の住処には八握穂社を造り祠った。