祖母の思い出、真浄寺で納骨堂探し。
眞浄寺の特徴
祖母が購入した納骨堂を探して訪れる方も多いです。
甘木鉄道の松崎駅から徒歩圏内に位置しています。
教薗山 真浄寺では本派復帰の碑を参拝できます。
教薗山 真浄寺は、甘木鉄道の松崎駅の南東900mほどの小郡市松崎の集落の中に伽藍を構える浄土真宗本願寺派の寺院です。かつての薩摩街道 松崎宿の南の外れの場所にあたります。江戸時代、この地には浄土真宗本願寺派の光応寺があり、藩命により真宗大谷派に転派させられて存在していました。大正時代、この光応寺が真宗大谷派から浄土真宗本願寺派に転派して寺号を真浄寺と改め、 元々の真宗大谷派の光応寺が、福岡市博多区美野島に移転したとのことです。山門は、令和に入り再建されました。境内には、納骨堂が2棟あります。浄土真宗本願寺派は、浄土真宗の宗派の1つで、宗祖親鸞の墓所である大谷廟堂を発祥とする京都市左京区にある西本願寺を本山とします。「お西」という通称があります。浄土真宗は、鎌倉時代の仏教家である親鸞(1173〜1263年)を宗祖とし、室町時代の八世の蓮如(1415〜1499年)が「講」と呼ばれる組織を築き、人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供し、また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文』を著作し、一般に広く教化した事により急速に発展・拡大しました。天正19年(1591年)に、十一世顕如(1543〜1592年)は豊臣秀吉に京都の土地を与えられ、本願寺を再興しました。しかし、慶長7年(1602年)、石山退去時の見解の相違等を巡る教団内部の対立状況が主因となり、これに徳川家康の宗教政策が作用して、顕如の長男である教如(1558〜1614年)が、家康から本願寺のすぐ東の土地を与えられ本願寺(東)を分立しました。これにより、当時最大の宗教勢力であった本願寺教団は、顕如の三男准如(1577〜1630年)を十二世宗主とする本願寺(西)と、長男教如を十二代宗主とする本願寺(東)とに分裂することになりました。浄土宗からの圧力により江戸幕府から「浄土真宗」と名乗ることを禁じられ「一向宗」と言われていましたが、明治5年(1872年)にようやく「浄土真宗」と名乗ることが許されました。宗派トップである門主(宗主)は、親鸞の女系曾孫で大谷廟堂を「本願寺」として寺格化した第3代宗主・覚如の子孫である大谷家が歴代務め、絶大な権力を保持していましたが、第22世鏡如の浪費などの問題が生じて以降は龍谷門主大谷家の権限を制限し、大谷家は宗務の権力中枢から、象徴へとその地位を変えています。信者数は、約796万人で浄土真宗の各宗派中最多で、仏教系の宗教法人の中でも最多です。全国に約10,473寺ほどあります。
「本派復帰の碑」があります。(幕府がキリシタン禁制を主目的として、寺請制度を設け民衆支配の末端組織として寺を使ったが、ある面、寺も利用された名残とも謂えるのでは? i.e.「宗門檀那請合之掟」 )平成30年5月12日土曜日13時より誰でも予約なく参加出来る、浄土真宗基礎講座「仏教の教え」が開かれます。
| 名前 |
眞浄寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0942-72-3708 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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50年以上前の祖母が、購入したと言っていた納骨堂を探して、こちらのお寺に伺いました。なにも証明できるものも無いのに、住職さんの奥さん方が、母の売る覚えの話をしっかり聴いてくださり、納骨堂も見せてくださいました。その上、連絡先まで、聞いてくれて、きちんと調べてくださり、後日お電話も頂きました。高齢の母の胸につかえて、気にかかっていたことが、取れました。ありがたかったです。