重みある歴史を感じる食堂。
食堂の特徴
薬師寺の北側の門から見える印象的な建物です。
丈夫な構造の食堂は僧侶が斎食するための場所でした。
約300人が集まる規模で再建された食堂です。
薬師寺の食堂は、かつて僧侶が斎食(さいじき)をするための建物でした。約300人の僧侶が一度に集まって食事できる規模だったことが確認されています。現在の建物は 平成29年(2017年) に三度目の再建をされたものです。
食堂(じきどう)と呼ぶ僧侶が斎食(さいじき(定められた時間にとる僧侶の食事))をするための建物平成後半に再建。
奈良県薬師寺の北側の門から拝観すれば、最初の建造物。近鉄電車を利用して薬師寺に来たら、必ず、北門を利用します。駐車場を利用すると南門を利用すことになります。
薬師寺の境内にはいってすぐ目にする印象的な建物。「じきどう」と読み、僧侶が食事をする場所なのだそうです。
「しょくどう」ではなく「じきどう」と読みます。内部はお守りや御朱印などを販売していたり、説法が説かれていたりしました。説法を拝聴したかったのですが、時間の都合で諦めざるを得ませんでした。
平成29年に再建された堂宇で、阿弥陀三尊浄土図がお祀りされています。三方には田渕敏夫画伯の筆による『仏教伝来の道』が描かれており、ガラス越しではなく直に拝観する事が出来ます。後方には長椅子が置かれ、腰掛けてゆっくりと拝観が出来ます。
玄奘三蔵院伽藍に描かれた平山郁夫さんのシルクロードの最後 西安 大雁塔の続きからはじまる食堂の大壁画。平山氏の一番弟子だった田渕俊夫氏が10年の歳月をかけ描いた繊細大胆 大迫力14面の壁画と阿弥陀三尊浄土図。絵を遮るガラスもなく直に鑑賞できるので感動もひとしお。でも作品の素晴らしさに見惚れてあまり近過ぎないようご注意を。貼られているロープに衣服などが触れると「近過ぎです ご注意を!」みたいな忠告放送が堂内に響きます。訪れた時はたまたま他のお客さんもおらずじっくり鑑賞できました。間近でみたり遠くに離れてみたり。全然飽きませんでした。
西僧坊と東僧坊の間に位置しているのが食堂(じきどう)です。現在の食堂は三代目で平成29年5月に落慶したそうです。内部には田渕俊夫氏の作品で、食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」と約50mにおよぶ壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されています。パンフレットには特筆されていませんが「阿弥陀三尊浄土図」と背中合わせに千躰佛があり、その数と煌めきに圧倒されました。
食堂(じきどう)は僧侶が斎食するための建物で、約300人が一堂に会する規模であったと発掘調査で判明。2018年(平成29年)5月再建落慶。「薬師寺縁起」によると食堂としての規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされている。創建当時の建物は730年(天平2年)頃に建てられ、973年(天禄4年)焼失。その後、1005年(寛弘2年)再建されたが、再び消失。今回、復興された建物は、外観は奈良時代の意匠を凝らした造りとし、内部は現代技術を活かして木柱等を削減し広い空間を確保し、多目的に使用できるようになっている。内部の壁面に田渕俊夫画伯により描かれたご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中央に、全長50mの及ぶ壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されている。
| 名前 |
食堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0742-33-6001 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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薬師寺の食堂(じきどう)は、かつて僧侶が食事(斎食)をとるための建物でした。薬師寺の食堂が失われた主な理由は火災(焼失)であり、それは一度だけでなく、複数回発生しました。最初の焼失は、平安時代の天禄4年(973年)のことです。これは、北方に隣接する十字廊(じゅうじろう)からの出火が原因でした。その後、食堂は寛弘2年(1005年)に一度再建されましたが、その再建された建物も再び火災によって失われ、以降は長らく伽藍から失われた状態となっていました。発掘調査などを経て復興事業が進められ、2017年に竣工・落慶法要が行われました。長らく失われていた後、平成時代に再建され、現在は拝観のための堂宇となっています。堂内には、日本画家の田渕俊夫(平山郁夫画伯の高弟)画伯によって描かれた壮大な壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が内壁全体を荘厳しています。中央にはご本尊として「阿弥陀三尊浄土図」が描かれています。これらの壁画は全長50メートルにも及びます。現在は一般に公開されており、拝観者は堂内の長椅子に座って、ゆっくりと壁画を鑑賞したり、説法を聞いたりすることができます。特別公開: 堂内の壁画は、他の主要な壁画(平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」、細川護熙氏筆の「東と西の融合」)と合わせて「薬師寺三大壁画特別公開」として公開されることがあります。天武忌(てんむき)とは、薬師寺の創建を発願した天武天皇の命日(旧暦9月9日、新暦10月8日)に、その遺徳を偲んで行われる法要のことです。奈良市の薬師寺にとって最も重要な年中行事の一つとされています。毎年10月8日に薬師寺の食堂(じきどう)で厳修されます。万燈会(まんとうえ):法要に先立ち、夕方から約1,000基(または2,000基)もの灯籠に灯りがともされ、境内は幻想的な雰囲気に包まれます。日中には十二神将練供養(じゅうにしんしょうねりくよう)や柴燈大護摩(さいとうおおごま)など、多彩な行事が執り行われ、多くの参拝者で賑わいます。天武天皇は、皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して680年に薬師寺の建立を発願しました。天武忌は、亡き人の遺志を継ぐという薬師寺の創建の精神にも深く関わる、歴史的にも宗教的にも意義深い行事となっています。薬師寺の「天武忌万燈会」では、小倉遊亀画伯の絵画も公開されています。具体的には、天武天皇・持統天皇・大津皇子像が描かれた小倉遊亀氏の作品が奉納されており、天武忌の期間中に公開されることがあります。