天石門別安国玉主神社で心安らぐひとときを。
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| 名前 |
天石門別安國玉主天神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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天石門別安国玉主天神社(あまのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)。高知県吾川郡いの町神谷。式内社(小)論社、旧郷社。【祭神】天石門別安國玉主天神(天石門別神) 高おかみ神資料によると、地元では、「とあけさま」と親しまれている。創祀年代は不詳。もとは神母林の巨巌の下に祀られ、神名も知られていなかった。しかし、江戸時代前期の元禄5年(1692年)、巌穴より「天野岩戸分安国玉之天神社 天文九年庚子霜月八日 勝賀瀬越後造立」と記された棟札が発見された。『皆山集』『南路志』には棟礼の発見について詳しい。高加茂壱岐は発見の前夜、同じ霊夢を見た日下・鹿敷の神主2人とともに霊夢の翌朝、巌石に集まった。波川の神主が先駆けて巌石に梯子をかけて登り、蔦葛をむしり取って開いたところ、昨夜の夢とおなじように棟札を得た、という。式内社を証明するものとして当時から重宝され、これが現存する。県内でも希少な、天文9年(1540年)という室町時代・戦国時代の銘がある棟札で、現在は町指定文化財。その直後にあたる宝永3年(1706年)、谷秦山は『土佐国式社考』において、当社を式内社に認定した。棟札発見が大きかったのだろう。その後、江戸時代中期から後期にかけて、宝永4年(1707年)、元文3年(1738年)9月18日、嘉永3年(1850年)に社殿の造営があった。しかし、明治3年(1870年)、式内比定の詮議があり、突然黒瀬村の同名神社が式内認定されて本宮とされ、当社は式内除外され、新宮に位置づけられた。当社域から発見された先述の棟札は、仁淀川上流の黒瀬村の同名神社から流れてきたもの、とされた。そのため、当社は村社に列した。ただし、大正8年(1919年)、郷社だった貴船神社と合併し、当社も郷社に昇格した。現在までに当社の御祭神は、天津羽々命の父、天児屋根命の外祖父にあたるという天石門別神と、貴船神社御祭神の高龗神。現在は、鳥居扁額に当社名と貴船神社が並ぶ。社標には「延喜式社」とあり、明治の式内認定に関わらず、当社も現在は式内主張している。例祭は9月27日・28日で、御願神事が行われる。境内社に、神母神社・白兎神社がある。現在の拝殿は、旧貴船神社の拝殿を修築したものだという。とあります。