水戸浪士の足跡辿る。
水戸浪士の墓(浪人塚)の特徴
明治の混乱期、天狗党の歴史を感じられる場所です。
幕末の水戸浪士たちの墓碑が堂々と立っています。
和田峠での激しい戦闘名所として訪れる価値があります。
「和田嶺(わだれい)合戦」、または「樋橋(とよはし)戦争」ともいう。京へ上ろうとする尊王攘夷派の水戸浪士一行(水戸天狗党)と、これを阻止するよう幕府から命じられた高島・松本両藩が元治1(1864)年10月20日樋橋(下諏訪町)で戦い、浪士隊が勝利した。この戦で命を落とした者は浪士勢14~15名。松本勢4名。高島勢6名。この塚は後日水戸に照会し判明した6名の水戸浪士戦死者名を揮毫し、供養している。史跡指定:1971年3月5日所在地:砥沢口所有者:樋橋。
明治の混乱期、天狗党と呼ばれる水戸浪士の一派が京の都を目指して進軍、地元の松本藩、高島藩連合軍と衝突、多数の死傷者を出した場所です。車の運転手をしてますが、たまたま通りかかった時に、浪士の子孫の方々が、バスで慰霊に来られているのを見かけたことがあります。
道沿いにあるので、解り易いです。墓と碑のみだけで趣はなかったな。元治はかなり昔になりました。
幕末の水戸浪士たちの墓があります。
上洛を目指す天狗党と幕府より追討を命じられた松本藩と諏訪藩が和田峠で交戦。天狗党で戦死した浪士を葬ったとされる塚。
横道に入ってから、それほど細い路じゃなくて良かった。ひっそりと、そこに在る。
堂々とした墓碑がある。車を停めるスペースがあるので、初夏の日中に弁当持参でピクニックなんてのもいいかと。夜は多分、怖い。
天狗党の戦いで討ち死した地になります。かわいそうとかの口コミがありますが、歴史見ると今でいえばISとかのテロ集団と同じです。自分たちの軍資金のため、なんの関係もない一般町民を恐喝し、抵抗すると無慈悲に殺して宿場全体に放火するなど最低のことをしてたようです。しまいに一般人も我慢の限界に達し、幕府軍を本部とする討伐隊と協力して反撃したほどで、慰霊などするに値しないのかもしれません。
天狗党の歴史を知る中でたどり着きました。歴代の水戸市長も訪れるとか。確か植樹された木があったはず。車は路側帯のようなところに止めることができます。
| 名前 |
水戸浪士の墓(浪人塚) |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.town.shimosuwa.lg.jp/www/contents/1001000000752/index.html |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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