平安の息吹、法華堂経庫。
法華堂経庫の特徴
正倉院と同じ高倉づくりの経庫が特徴的です。
四天王や帝釈天の迫力ある躍動感が魅力的です。
平安前期に建てられた貴重な文化遺産です。
平安時代前期に建立されたとも、かつて正倉院宝庫の庫蔵の地に東向きに建立されていたが、江戸時代中期に現在の場所に移されたとも言われている【重要文化財】
法華堂経庫(重要文化財)この校倉は、江戸初期まで正倉院宝庫の西北方約一五〇メートルに移築したものと思われる。あった庫蔵の地にあったものを、元禄九年(一六九六)に現在の位置に昭和三十八年〜三十九年の解体修理で、元来は東向きであったことが判明、創立年代は明らかではないが、建築様式上、奈良時代のものと考えられる。鎌倉時代に大修理が施され、小屋組・軒回り材の大半が取替えられていて、その後も享保十六年(一七三ー)に軒を切り詰め、野小屋が新たに設けられた。次いで文政十一年(一八二八/棟札)、明治中期には屋根の茸替えが行なわれたが、昭和の修理で旧状に復された。但し、復元されたのは創建当初の姿ではなく、中世の姿にである。この経庫は元来、手向山八幡宮の宝蔵として移築されたものであるが、明治初年の神仏分離の際、東大寺に帰属することになった。入口の扉が法華堂に背を向けているのは、そのためである。なお、この倉の内部には、鎌倉以降の米の出し入れの留書や、ねずみの戯画がみられることから、中世以降、米倉として使用されていた時期があったようだ。寛文七年(一六六七)に二月堂が焼亡した際、絶対秘仏の二月堂本尊である十一面観音(大観音)は何とか堂外に持ち出されたが、混しく破損した光背は頭光二十個・身光六十七個の断片になってしまった。これらの光背断片は二百年余り忘れられていたが、明治三十三年(一九〇〇)頃に建築史家の関野真が発見した。その発見場所がこの法華堂校倉であった。この光背は、現在東大寺ミュージアムに展示されている(但し展示替えあり)。現在の庫内には、東大寺の僧信になる住職試験(堅義/りゅうぎ)が執行される際に使用される大きな論義台が保管されている。
法華堂経庫というそうです。ここ単体でスポットになっているとは気が付きませんでした。
正倉院と同じ高倉づくりの経庫。
四天王や帝釈天が、今にも動き出しそうな躍動感たっぷり。怖いくらいの迫力。
創立年代が付属の看板では奈良時代になっているが、文化遺産オンラインでは平安前期となっている。かつては正倉院近くにあったものが、江戸時代に手向山八幡宮の宝蔵としてこの地に移設された模様。何度か修理を重ねるうちに姿も少しづつ変わり、昭和の修理で中世期の姿に最終的に収まった。所蔵品も時代時代で、お経、米、神社の宝物など変遷があるが、現在は東大寺の論義台が保管されている。
今回は若草山山麓方面から手向山八幡宮を経て東大寺法華堂や二月堂への散策途中に立ち寄りました。国の重要文化財。いつか子供の頃に教科書で見たような校倉造~あぜくらづくりの建物(教科書掲載のものは東大寺正倉院…)が、急に視界に現れた時は感動いたしました。平安時代前期の建造物がこんなにも身近に手に取るように眺められるなんて…!奈良の地での臨場感たるやさすがです!経庫南側開閉口側には石造りの十三重の塔も。
平安時代に建てられた校倉です。国宝ではなく重要文化財です。さすが奈良といった感じですね。
| 名前 |
法華堂経庫 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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東大寺法華堂経庫とうだいじほっけどうきょうこ造物 宗教建築 / 平安奈良県平安前期 / 794-929桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺1棟奈良県奈良市雑司町重文指定年月日:19020731東大寺重要文化財文化遺産オンラインHPより。