諏訪の歴史を体感!
神長官 守矢史料館の特徴
神長官守矢家と諏訪大社の深い関わりが学べる歴史資料館です。
藤森照信氏のデビュー作品として注目の建築物が特徴です。
古文書や御頭祭の復元展示があり、貴重な資料に触れられます。
素晴らしい場所🤗beautiful🐻Nice💐諏訪独自の諏訪神道を伝える大事な場所です😌💓古事記や日本書紀は、勝者の神々の歴史😮💨それより諏訪独自の土着の神々こそが諏訪の歴史💪伊勢神道がすべてでは無い事を教えてくれる場所🤗🐻ここに来なくては、諏訪はわからない💐後ろにある御宮からは、溢れるパワーを頂きました🙏
平成3年に開館し、建物の基本設計は藤森照信教授(現東京大学名誉教授)が行いました。構造は鉄筋コンクリートの上に、壁体部分においては内外とも特別調合の壁土を塗り、床面は同様のタタキとし、さらに一部壁土の上にはさわら材手割り板をかぶせています。また、屋根には地元の「鉄平石」といわれる平石と天然スレートをのせています。正面入口の庇を貫く4本柱は地元産のイチイの樹を使っています。(茅野市 神長官守矢史料館HPより転載)
諏訪大社 本宮→前宮の移動中に見かけて立ち寄りました。小さい建物で入館料¥100とお手頃ですが、御頭祭(酉の祭)の再現があり面白かったです。「七十八代守矢早苗氏より茅野市が寄託を受け…」と展示にあり、東風谷早苗の元ネタってこと!?と、東方ネタの発見があって楽しかったです。茅野市出身の方が建築らしく、移動中に同じ方が設計の公民館もありました。同じ作風ですぐ気がつけるのでそれも楽しいです。
諏訪大社上社の神長官を勤めてきた守矢家の資料館です。神事に関わる資料が多数収蔵されております一見の価値があります。
2025年9月車で訪問。入り口に駐車場がある。看板もあるが、若干分かりづらい。ただ、建物自体はとても面白く、中には鹿の頭の剥製が壁にずらっとあったり。何故、ここにこのような素晴らしい建物があるのか不思議。建物の周りも散策できたり、遊歩道としても楽しく。興味深いものがありました拝観料100円。
2025年に公開した「鹿の國」を観て興味が湧いて来てみました。※神長官 守矢史料館 (長野県茅野市)1989年に守矢家第78代当主守矢早苗と茅野市の依頼を受け、藤森照信が設計、1991年(平成3年)茅野市に竣工。(守矢早苗と藤森が幼馴染みという縁で、市役所が藤森氏に設計依頼を持ちかけた。設計図での名称は『Museum of Moriya』)閉校した富士見町立落合小学校の元校長・郷土史研究家の細田貴助が初代館長を勤めた。(以後1995年まで勤める。)現在の館長は田村健である。守矢史料館は鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢文書を保管・公開する史料館です。守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきた家柄です。守矢史料館は守矢家の敷地内に建っており、諏訪の風景を現在に伝えています。
古代から明治時代の初めまで諏訪上社の神長官を勤めた守矢家。大祝(おおほうり)諏方氏(すわし)は現人神(あらひとがみ)であり、実際に神事を取り仕切っていたのは神長官をはじめとする五官祝だった。館内には御頭祭で使用された剥製の鹿の首が展示されている。また外にはミシャグジ社、神長官裏古墳がある。入館料は100円、入り口に数台停められる駐車場がある。
こちらは2025年04月10日の訪問となります。守矢さんは諏訪上社の神長官だったとの事です。入館料は大人一人100円。守矢氏の歴史や、鎌倉時代から伝わる当家の文書、大社で行われる御頭祭の神饌(供え物)の再現物などが展示されています。建物に関しては土壁というのが雰囲気むんむん。御頭祭とは諏訪大社で毎年4/15に行われ、鹿の首の剥製などを神に捧げ五穀豊穣を祈るものらしいですね。弓矢は多分、鹿などを狩る時のもの。神饌の一つであるお肉はどう見ても作りものですが、首の剥製は……どうなんでしょう? 昔は75頭の鹿の首が捧げられ、必ず耳の裂けた鹿が一頭入っているのが七不思議になっていたとか。
例大祭•御頭祭の前に立ち寄ったが駐車場がいっぱいで祭の後に寄ることとした。史料館の中身は当然興味があったが、やはり建物としての興味もあり、藤森照信氏45歳にして建築家デビュー作で和風でもなく洋風でもないが、特に諏訪の景観に溶け込む生成りのモルタルと微妙に異なる割板の外壁や諏訪産出の鉄平石で葺いた屋根、入口の軒を左右対称の長短の柱は否応なく、目に惹かれる。笹の垣に取り巻かれる史料館の佇まいは、藤森照信氏の代表作であるラコリーナをインスパイアしてしまう。建物はここらに置いて、史料館の中に入って行くと入口で入場料100円に驚く。江戸時代の紀行文「すわの海」に菅江真澄が残したスケッチの世界が再現されていた。御頭祭を実際見て、文字で見る程の違和感は感じなく、よく言えば洗練され過ぎていた。史料館の展示品やミシャグチの総社などを見ると剥き出しの宗教的な原点が違和感なく受け入れられる。史料の数的には多く無いが武田信玄が諏訪神社を重視した印も見ることが出来た。上社本宮の資料館に展示してあったサナギ鈴を布に包んだ模倣品があった。この原型は銅鐸ではないかと勝手に思ったり、妄想が止まらない。
| 名前 |
神長官 守矢史料館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0266-73-7567 |
| 営業時間 |
[水木金土日火] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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壁に掛けられた鹿と猪の大量の首と串刺しのウサギ。。。(゚Д゚)ハァ?一体何なの此処は?よく知らずに来た人は思うでしょう。成金趣味の資産家の玄関か?まぁ、此処に来られる方々は結構な物好き(すいません)だと思うので、そんな人は実際は少ないのかも知れません。ただ、此処が日本人にとって最最重要資料館であると評価する人はいくら程なのか?結局は、そもそも寺社って血や穢れを嫌うし、そんな残忍に感じるオブジェってあり得ないのでは?ってな単純な疑問に辿り着くのか否か。恐らく此の資料館で展示してある守矢家の書簡なんか見ても分からないし、守矢家や諏訪氏と甲斐の武田氏との絡み、諏訪大社の上社と下社の関係性なんかは近くの高島城の天守閣にある展示の方が詳しいが、それだけでもそれは理解出来ない。諏訪大社の発表公式見解を読んでも余計に混乱するだけだし、古代以降の時代時代の幾重にも重なった変遷を丹念に追っても無駄だ。むしろ自然史的に諏訪湖の変遷を追っている諏訪湖博物館の展示の方が多くのヒントが隠されている気がする。人間の後追いの解釈なんぞ宛にならない。よく海外で報道される日本人の世界的に見れば特異な性質、悲劇的な状況でも略奪行為も起きずパニクらず整然と行動するとか、以心伝心、無償の善意の助け合い精神とか。日本人の、いや人類の根源的エッセンスを考える上で行き着くのが諏訪大社であり此の資料館なのかと思う。今の私達の価値観は時代時代で微妙に変化していると歴史を丹念に振り返れば分かるが、その大きな変換点が狩猟社会から農耕社会への変化。封建社会から近代社会ではない。八ケ岳山麓であるこの地が日本列島の文化の中心であった縄文時代中期の争いも諍いも希薄な社会の爛熟した高い精神世界に見出すのは些か飛躍した歴史ロマンなのだろうか?