天龍川の静寂、素戔嗚の御加護。
八王子神社の特徴
天竜川から感じるマイナスイオンが心地よい場所です。
社殿の左右には天神社と大神社が存在する珍しい構造です。
素戔嗚を祀る神社として、耕地とのつながりも魅力です。
❶【八王子社 参考 朝日村史 1969年】八王子社(1969年の書による)[祭神] 素戔嗚命(すさのおのみこと・防疫の神) (この書にてわかっている神様)・むかしは「牛頭天王」といわれた、とあり、古い幟(のぼり)に「八王子牛頭天王(ごずてんのう)」とあった、とある。・お宮のできた時代は不明である。・明治41年(1908年)に村内の小社を合祀したが、氏子はこれを嫌い、合祀は表面のみで今のところに置いた、とある。・祭りは「荒神社」の翌日となっている、とある。・古くは周囲に榎(えのき)の大木などある森になっていたが、伐採してしまい、ご神木と言われた檜(ひのき)の大木が残っている。昔から「流行病(はやりやまい)」にはお参りしてご神木の皮をはいで煎じて飲むと効果がある、といって「流行病(はやりやまい)」の多い年にはお参りに遠くからも来て、檜の手の届く所の皮はみんなはがされた、とある。[鎮座地] 万五郎。
静かな場所でした。
天竜川のマイナスイオンが素晴らしい神社です🙋
社殿左右にあるのは、天神社と大神社かもしれない。八王子神社は、素戔嗚尊の御子等8柱を祭神とする。「南信伊那史料」には太古荒神山の北方(平出・辰野地区)はすべて湖水で大蛇が潜み辰の湖を称した。東側(樋口地区)は水門の役割を果たしていたが洪水のために破壊あれ湖も次第に涸れて平野となった。その後、この地方には毎年疫病が流行し人々は大蛇が居を失った祟りと恐れ八柱を奉納して無病を祈願したところ病は忽ち跡を絶ったという。ために近郷近在から数里を遠しとせず参詣しその霊験も著しいと記されている。造営年代は定かではないが寛保2年(1742年)の「社壇造立入用覚」が残っている明治33年社殿周囲に玉垣鳥居の建設、同43年荒神社へ合祀、同45年耕地内各祝殿を八王子神社社殿へ合祀、大正5年石造五幟枠建立、屋根改築、昭和27年及び平成6年6月大改修が行われた。(平成7年10月)(八王子神社の由来記より)
素戔嗚を祀る、耕地の神社。
| 名前 |
八王子神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
神社の隣の砂利に駐車しました。静かな場所に佇む神社。備考八王子神社由来記八王子神社は尊の部子:とする「南倉伊那史料」には、大古荒神山の北方(平出・辰野地区)はすべて湖水て大蛇が潜み辰の湖と称した東側(植口地に)は水門の役割を果たしていたが、素水のために破束され調も次第に潤れて平野となったその後この地方には毎年度病が流行し人々は大蛇が居を失った辛りとされ。へ性を本記して無病を祈願したところあは思ち味を絶ったというために近郷道在から教里を遠しとせす参詣しその霊験も若しいと記されている造営年代は定かてはないか七四年)の「社造立入用党」が残っている。明治三十三年社殿周国に王垣島店の建設、同日三年売神社へ合和同四十五年井地内各祝殿を八王子神社社殿へ合え大正五年石造五反城枠建立屋根改築昭和 十七年 平成本六月大改修が行われた平成七年十月建之万五郎耕地。