歴史が息づく神楽殿。
矢彦神社(信濃國二之宮)の特徴
独特な荘厳さが漂う、矢彦神社の神楽殿が目を引く印象です。
小野神社と隣接し、かつて一つだったという歴史的な背景があります。
国道153号線沿いに位置し、神聖な空気に包まれた場所です。
神社の由緒や現在までの沿革は辰野町教育委の資料にも超詳しいので、個人的に1点だけ。拝殿前の石灯篭は江戸後期に建てられたもので、うち向かって右側の石灯篭は脚部分に願主/施主/油施主、の銘を読み取れます。この3名の倉沢さんは、南小野雨沢集落の名主を務めた家系の、父親・景栄と長男・景儔と二男・景陳。景陳が私の「父の7乗」となり、景儔も含めて(のちに親族婚があったので)3人全員が私の直系ご先祖です。現在もその本家がR153沿いの元「こめはなや」向かいに立派な門を構えています。令和に完成した修繕事業は、彼らと同じ血を引く、南小野の倉沢Nさん(not本家)がとりまとめたと聞いています。
神楽殿前にある石柱は、高さ6m幅40cm程度か正面と側面が八面体のうち五面で構成され、後方が八面体のうち三面が円形になっている変形八角柱。小野神社にも似た石柱がある。刻まれている文字は次のとおり(誤りがあるかもしれない)正面「大正御即位奉祝献灯記念 正三位子爵関博真謹志」南面「電気光力永代寄附伊那電車軌道株式会社」北面「大正四年採石起功大正五年十月竣功」西面は石碑の寄贈者の氏名が刻まれているようだ伊那電気軌道、後の伊那電気鉄道は鉄道の敷設と、電灯電力の販売を経営の両輪として辰野から飯田へ南進する。「電灯」の有効性を地域の住民に宣伝するために人が集まる神社に電灯とういう「光力」を永代寄進したものだと考えられる。これと似たものが松本市内の四柱神社にある。松本電灯が薄川第一発電所から供給した、四柱神社の境内にある街灯の直下にある記念碑には、正面に「電気の燈 初めてここにともる」とともに浅井洌の短歌が “電気燈” というタイトルで 「夜もすがら あぶらもささず 風ふけど かぜにもきえぬ 燈火の影」とあり、この歌から住民の驚きと宣伝の効果が伝わってくる。
2024.11小野神社に隣接しています。両社は古くは1つの神社を成していたと言われています。飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって、盆地を流れる唐沢川を境に筑摩郡の北小野村と伊那郡の南小野村に分けられたことに伴い、神社境内も分割されたそうです。御守りや御朱印などの書置はありませんでした。本殿の彫刻が素晴らしいです。ただ参拝用は少ない様子で寂れた印象でした。【主祭神】大己貴命 (おおなむちのみこと:大国主命)事代主命 (ことしろぬしのみこと)【由緒】社伝によると、矢彦神社は1400年ほど前に創建されたとされる信濃国二之宮であり、上伊那54か村の総鎮守といわれていました。祭神は大己貴命、事代主命をはじめとする9柱です。中でも明治宮は明治天皇の在位中に祀られた「生祀明治宮(せいしめいじのみや)」で、全国的にみてもまれです。また、隣接する小野神社は塩尻市北小野のお宮であり、かつて豊臣の裁許によって1郷であった村が2つに分けられた名残でもあります。このため、同じ境内に2つの神社が祀られる、県内でも他に見られない場所となりました。現在でも矢彦神社は、塩尻市北小野地区の中にある辰野町の飛び地として、辰野町小野区の氏子の信仰を集めています。
小野神社と同じ敷地内に並んで立つ、こちらも信濃國二之宮。ご祭神は、小野神社の建御名方命のお父上である大国主神と、兄上の事代主命という、国譲りに抵抗せず従ったとされる親子の神様。もともとは1つの神社が2つに分かれたとのことですが、一方の小野神社が国譲りに抵抗した建御名方命をお祀りしていることから、領地の境界線問題以外にも何か因縁があるのかしらと想像してしまいます。
霧訪山登山口を確認に行った後で、登山口から見える平地林を見に行くと二つの神社が有りました!小野地区の鎮守の小野神社と辰野町の飛び地に有る矢彦神社です。二つの神社は、同じ様に御柱を建てていますが、小野神社は赤松の皮を剥かずに建てて、矢彦神社は木曽山林より切り出された檜の皮を剥いて建てますので、違いが有ります。弥彦神社の御祭神に建御名方命と八坂刀売命がいらっしゃいます。諏訪大社の御祭神です♫御手洗水は、水質検査をした水で、引用が出来ます。静かな心の落ち着く神社です♫
お隣りと比べるのは御法度かと思いますが、神社の風格はこちら矢彦神社⛩️に軍配が上がると思えます。御柱と呼んだり柱と呼んだり、手水舎を御手洗と呼んだり手木舎と呼んだり、二社の違いが要所々に見られて楽しめます。
隣の小野神社とは中で繋がっていて、とても広いです。とても静かな場所です。ここにも御柱があるとは知りませんでした。
かつては、隣に鎮座している小野神社と一つの神社だったと言われています。大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えて、この地に立ち寄ったと言われています。欽明天皇年間(539年から571年頃)に創建されたと伝わっています。諏訪大社の御柱祭の翌年に、小野神社と合同で式年御柱大祭が行われています。坂上田村麻呂の戦勝祈願が叶い、桓武天皇の勅により御柱を建てるようになったことに始まると伝わっています。諏訪大社の勇壮さに比べて、小野神社と矢彦神社の大祭はきらびやかな衣装が特徴だそうです。古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されています。
国道153号線沿いの社叢に鎮座する信濃國二宮で、同じ境内の北側に小野神社が隣接していて、もとは一つだったらしいが今はそれぞれ別神社とのこと朱色の明神鳥居の先にまず目に入るのが荘厳な佇まいの神楽殿で、彫刻が彫られた扁額も立派です神楽殿の奥に勅使殿、その奥に拝殿と左右回廊があり、すべて県宝とのことです拝殿と左右回廊は、諏訪大社の幣拝殿と左右片拝殿を彷彿させるつくりで、拝殿に施された精緻な彫刻が美しいです拝殿の奥を格子から覗くことができますが、正殿、副殿、北殿、南殿と思われる社殿が一列に並んでいて、神聖な雰囲気を感じます。
| 名前 |
矢彦神社(信濃國二之宮) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0266-46-2064 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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※矢彦神社祭神大己貴命 (おおなむちのみこと)矢彦神社(信濃国二之宮)長野県上伊那郡辰野町小野3267矢彦神社社伝では、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという。そして欽明天皇年間(539年-571年?)、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀売命を副殿に祀って祭祀の形が整ったと伝える。