歴史が息づく石倉山城。
石倉山城跡の特徴
石倉山城は1581年に落城した歴史的な遺跡です。
廊之坊塩崎氏と実報院米良氏の争いが繰り広げられました。
那智川対岸の蚤之城へ布陣した堀内氏善の物語があります。
🔷歴 史石倉山城は那智社僧清水門善坊が築いたといわれ、天正9年(1581)4月、廊之坊塩崎氏と実報院米良氏の争いに廓ヶ坊側で戦い、那智川対岸にある蚤之城に布陣した堀内氏善に攻められ、落城したという。🔷現 状石倉山城は東西に延長200mほどの細長い痩せ尾根に築かれた城である。 尾根の最高所に主曲輪がありこの城では最大の広さがある。主曲輪の北側に土塁と張り出した小曲輪がある。また主曲輪は東側には高さ1m、延長5mほどある石垣が残されている。 主曲輪の西側には二条の堀切により尾根とを遮断しており、斜面には石垣により補強されている。 主曲輪東側の二ノ曲輪には南側斜面と尾根とを区画する堀切にそれぞれ石段が残る。 堀切を越えた尾根の東側には土塁と櫓台のような土盛りされた曲輪があり、そこから東側に向けては岩盤が露出したやせ尾根が続き、末端部に岩盤を削掘した堀切が設けられている。 なお、城跡までは津波避難道が途中まで整備され、そこから避難広場や廃屋を抜けて斜面を登ると到達する。
| 名前 |
石倉山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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地元の方のご厚意でMW2C+XVQ(那智勝浦町)に駐車させていだきました。そこからは避難広場への案内に従って進み、スチール製の階段を登ります。広場からの道は藪で隠れていましたが、写真のような切り株の間を進むとが道が現れました。しばらく進むと尾根上の堀切に出ました。尾根上に連なって東西に長く延びる城域です。堀切やそれを補強する石垣が残っています。主郭の北側は土塁で防御されています。登城口からの往復で、時間約30m、距離約690m、比高23mでした。