五百野皇女塚の歴史を感じて。
五百野皇女塚の特徴
国道163号沿いにある五百野皇女塚に訪れる価値があります。
日本書紀に登場する五百野皇女を象徴する石柱が確認できます。
伊勢の伝説を感じることができる荘厳な古墳が残っています。
五百野皇女塚(いおの こうじょ つか)石柱に「景行天皇皇女久須姫命之古墳」とあるが”久須姫”とは「日本書紀」などの歴史書に登場する五百野皇女と同一の人物とされています。古代から中世にかけて、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、「斎王」と呼ばれる未婚の皇女を派遣する制度がありました。実在する斎王としては、壬申の乱に勝利した天武天皇により、その感謝を伝えるために天武3(674)年に伊勢に遣わされた大来皇女が最初とされます。五百野皇女は、景行天皇が即位して20年後、伊勢に遣わされたと記されています。五百野皇女がその任を解かれた時期は記されていませんが、「美里村史」に収められている伝説によると、都に帰る途中に美里町五百野で病にかかり、亡くなったとされています。五百野皇女はこの地に葬られたともいわれ、五百野の地名は皇女の名前に由来するという説もあります。
| 名前 |
五百野皇女塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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伝説の時代の伊勢の斎王さん、五百野皇女さんが亡くなって葬られた古墳にあった石碑を国道163号線沿いに移したものです。五百野皇女さんの異母兄弟にヤマトタケルがいますから、そのくらいの時期の人。斎王がその任を解かれたのは、天皇の譲位・崩御、斎王の病、肉親の不幸などの場合に限られていましたから、天皇一代に斎王一人が原則でした。何があったにせよ、ようやく帰国できるとなったのに途中で亡くなったのは可哀想な話ですね。ちなみに、石碑にある紀元2600年は神武天皇から数えた皇紀、西暦なら1940年です。この時に日本全国で古代天皇家に関連する色々な石碑が建てられましたが、そのうちの一つです。