岐阜城の戦いを刻む塚。
織田秀信かみきり塚の特徴
織田信長の孫、三法師として知られる人物の史跡です。
岐阜城の戦い後に剃髪された髪が埋められた場所です。
歴史の大きな転換点を感じられる特別なスポットです。
関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いの後に剃髪した織田秀信の髪を埋めたという塚です。織田秀信とは信長の孫であり清洲会議の時に織田家の家督と定められた三法師その人です。関ヶ原の戦いの時に秀信は西軍に属していました。家臣が籠城を進言したにも拘らず出撃して東軍と戦い大敗してしまいました。その後、東軍に攻められて岐阜城は呆気なく落城。秀信は信長の孫ということで命だけは助けられて浄泉坊(後の円徳寺)で落飾して高野山に向かったのでした。岐阜城のあまりにも早い陥落は木曽川のラインで東軍をくい止めようと考えていた三成にとって、大きく戦略を見直さねばならなくなったと言われています。信長の孫としてはちょっと情けない秀信ですが、そんな秀信の肖像画と所有と伝わる銀箔押烏帽子形兜を現在、岐阜市歴史博物館で開催中の特別展「天下統一」で見ることができます。
| 名前 |
織田秀信かみきり塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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織田信長の孫であり、幼名の「三法師」としても知られる織田秀信が、人生の大きな転換点を迎えた場所。1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦である「岐阜城の戦い」で、西軍に味方した秀信は東軍の猛攻を受け敗北。秀信は死を覚悟していたが、対戦相手であった福島正則や池田輝政らの説得により助命され、円徳寺(当時の浄泉坊)で剃髪して出家したと言われている。