文台森城で特別なひとときを!
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| 名前 |
文台城祉 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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別名文台森城。連郭式の山城で、2つの曲輪、土塁、堀切があります。縄張規模は90×18です。平維盛目代某居城でした(愛媛県中世城館跡分布調査報告書による)。以下は案内板より。文台城及び当地について郷土誌などでは、伊予の国司平維盛の目代攻防(治承年中)の地として、また徳能通時の赤橋重時攻め(建武年中)の舞台として掲載されている。時代は下り戦国時代の当城は、兼頭修理亮、臼坂弾正、武田備後守信重らが守るが、享禄年中当時(一五二八〜一五三一年)勢いに乗じて勢力を増す剣山城主黒川元春(妙口・大郷)に対し、赤滝・駒頭・楠窪・今井の諸砦主らとともに戦わず軍門に下り、黒川氏の要害城となる。天正十三年(一五八五年)七月、四国に上陸し軍を進めた小早川隆景は、宇摩、新居両郡を攻め落とした後、剣山城を攻撃し黒川氏を滅ぼすと、西方周布、桑村、越智、野間、早風の五郡の城を悉く陥れる。文台城の起源は定かではないが、この戦いを最後に廃城となったと思われる。