住宅街で見つけやすい!
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| 名前 |
旧私部城 案内板 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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住宅街の幹線沿いに案内板があるので、見つけるのには苦労しませんが、駐車場はありません。遺構も整備されているとは言い難いですが、2箇所に石碑と説明板があります。城跡の北側が田んぼになっており、そちらから見ると土塁が確認できます。草木が枯れる冬場の方がよりわかりやすいかなぁって感じました!交野市指定文化財(史跡)私部城(きさべじょう)跡(本郭)私部城は戦国時代の河内の武士・安見氏の居城です。本郭などの曲輪(城の陣地のことで郭とも書く) が並ぶ連郭式の平城です。交野城の名でも知られます。本地点は本郭の南西隅にあたり、西に位置する二郭との間には堀跡もよく残ります。本郭の中心部は城の中で最も標高が高い地点にあ ります。この付近の発掘調査で廃棄された瓦片と石 材が多く見つかっており、本郭に瓦屋根の建物が存在したと考えられます。『信長公記』には天正六年(一五七八)十月一日 に織田信長が堺から京都へ向かう途中、「安見新七 郎所(私部城か)」で休息したと記されており安見 氏が信長の信頼を得ていたことがうかがえます。信長の死後、安見氏は交野から伊予(現・愛媛県) や加賀(現・石川県)へ移り、砲術家として活躍しました。現地案内板より令和三年八月交野市教育委員会交野市指定文化財(史跡) きさべじょうあと 私部城跡私部城は戦国時代に築かれた河内の武士・安見氏の居城です。当時は交野城の名で知られ、織田信長に味方して戦いました。城は本郭・二郭のほか出郭などの曲輪群からなる連郭式の平城です。本郭は、東西約五十メートル、南北約六十メートルの方形で北側の半分は一段高くなっています。西側の二郭は東西約五〇メートル、南北約一〇〇メートルの長方形で、北側は道路によって分断され、「天守」と古くから呼ばれていました。東側の三郭は東西約三〇メートル、南北約六〇メートルですが、すでに宅地化されています。曲輪の周囲には堀が多くめぐらされていました。田畑や池として現在もその一部が残っています。大阪府内では遺構を地上に残す戦国時代の平城はきわめて少なく貴重な史跡です。交野市教育委員会現地案内板より。