道三公の戦いを想う場所。
斎藤道三公墳の碑の特徴
長良川の畔にある斎藤道三公墳の静かな石碑で、心を落ち着けられます。
弘治2年に戦死した道三公を偲ぶための重要な文化財と、隣接する常在寺も魅力的です。
郷土の歴史を感じることができる、知られざるスポットとして訪れる価値があります。
濃姫は、最後の娘でした。帰蝶。花の匂いを辿り、帰る辺へ。
| 名前 |
斎藤道三公墳の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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長良川の畔、ポケットパーク名水にある「斎藤道三公墳」道三公の遺品などを埋葬したところがかつてこの近くにあり、長良川の整備に伴ってそこにあった石碑が移設された裏側に「大正元年九月建設」とあるからそのころなんだろうか道三塚の方が有名で、こちらはおそらくあまり知られていないかもしれないいつもほとんど人がいないからゆっくりと手を合わせられてええね……😌🙏正面から見たとき、向かって左には「弘治二丙辰年四月廿日戦死」とある弘治2年(1556)4月20日は長良川の戦いが起きた日であり、この日に道三公は息子・義龍公の家臣・小牧源太に討ち取られている彼ははじめ道三公の家臣だったが、美濃の支配者となるために悪逆非道を尽くし始めた主君に嫌気がさしたのか、やがてその元を去り義龍公に仕えた長良川の戦いの際、道三公に味方した将兵はわずか約2700人対する義龍公の元には道三公の弟(若いときの庶子ともいう)・長井隼人佐道利、西美濃三人衆や斎藤六宿老といった斎藤氏の重臣たちが多くついた その将兵は約17500人序盤は義龍公側の先鋒・竹腰道鎮を討ち取るなど優勢だったものの、衆寡敵せず道三公は織田氏の救援も間に合わず戦死した正面の向かって右側には菩提寺である常在寺、ゆかりのあるお城・鷺山城址、城田寺城(上城田寺城址?)、大桑城の名とその距離が書いてあるが距離に関してはあまり詳しくなくて申し訳ない鷺山城址は比較的近くて上城田寺城址や大桑城址ほどがっつりな山城でもなく、近年は大河ドラマの舞台にもなったからか、よく整備されていて登りやすいここと道三塚とあわせて訪れるのがおすすめやと思う。