保土ヶ谷工場の歴史を体感。
日本カーリット保土ヶ谷工場跡地の特徴
1919年から1995年まで稼働した歴史的な火薬製造施設です。
日本カーリット株式会社の貴重な遺構が見られます。
ここでの経験は、歴史を感じる素晴らしい時間です。
1919年から1995年まで稼働していた日本カーリット株式会社保土ヶ谷工場の火薬製造施設の遺構です。専ら産業用の爆薬を製造していたようだが戦時中は軍需工場に指定されてたようです。土塁の中に、火薬を製造する工室が1つ1つ小分けされ設えられてるのが興味深いです。事故があった際に被害を極小化しようとしてたと思われます。他、原材料や製品を運ぶのに使われていたトロッコの線路等も残されてます。
| 名前 |
日本カーリット保土ヶ谷工場跡地 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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こんなに残っているとは思いませんでした。戦争遺構や煉瓦構造物、廃線跡を見て廻っています。埼玉ふじみ野の火工廠は都市化で土塁、防爆壁、給水塔が無くなってしまいました。こちらは通路の煉瓦アーチが残っていると知って訪問したら、・土塁・煉瓦造通路・トロッコレールが残っていました。何でこんなに残っているのかと思ったら、民間企業なので戦後に生産を再開して、その後公園化するまで日本カーリットがここを持っていたためでした。駅から遠く、谷を囲む平面の無い地形だったのも再利用されなかった要因です。煉瓦造通路は土塁を抜けるための通路です。加工や梱包をしていた部屋は通路を抜けた先、土塁で四方を囲まれた中に建てられた建物でやっていました。通路はハの字、爆風が真っすぐ抜けない向きにして、待避所も設けられています。