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麓の須々万沼城攻めの際に置かれた陣所です、須々万沼城は小早川隆景、毛利隆元などの一門衆を2度も跳ね返す堅城でした。主な原因として三方が沼、背後が山という地形のため、攻められにくい、城でした。山崎伊豆守(山崎興盛)山崎隆次親子と江良賢宜が守り、毛利元就も苦戦をしましたが、筵で沼を埋めて、火縄銃を使って城兵の戦意を喪失させました。弘治3年1557年に城攻めが開始、城内の老若男女1500人(もしくは3000人)が亡くなりました。山崎興盛、山崎隆次親子は自害して、江良賢宜は降伏しました。実は落城原因にはこんな伝説があり山崎隆次の妻が城へ戻る際に、浅い沼地を渡ったことで、ルートがバレてしまい、そこを経由して落城したという説がありますが、伝説に過ぎません須々万にある山口県立徳山北高等学の校歌には「桜花 散るをも待たで沼城に 命を絶ちし名将の 心知らずや」と言う、ものがあります、城は落城後に廃城となったようです。