小野小町の泪、姿見の橋。
小野小町姿見の橋の特徴
小野小町が川に映る姿を見た場所という伝承があります。
旧東海道沿いにある、地味ながらも歴史的なスポットです。
小野小町の伝承は特定が難しく、興味深い背景があります。
そもそも小野小町が衰えゆく自分を嘆いたスポットを残す意味が分からない。夕方だったせいか周囲はどんより暗い。ストーリーが頭に浮かばない😅それらを差し引いても「橋」と言えるものではなく大股一歩分くらいのもの。史実が正しいなら当時はここでないか、もしくは現代までの河川工事等で縮小されたと思いたい。哀愁というか悲哀感がもしかしたら日本人の好むストーリーでもあるのかも。
旧東海道沿いに「小野小町姿見の橋」があります。小野小町の晩年、東国(あずまくに)に下る途中 ここ岡部宿に泊まりました。小町は この橋に立ち止まり、夕日に映える山の美しさに見とれていたが、ふと橋の下の水面に目を移すと、長旅で疲れた自分の姿が映っており 己れの老いを悲しんだと言う。日本では「クレオパトラ」「楊貴妃」「小野小町」が世界三大美女と言われており、小野小町に関する多くの伝説がある。全国に17箇所も小野小町の墓(と伝えられている) があり 伝説の美女ですね。そして多くの男性から求愛されたロマンス「深草少将の百夜通い」と、晩年の不遇•美貌の衰えた小野小町が全国を放浪する「小野小町落魄伝説」が有名です。小野小町の出生地は秋田県湯沢市が有力、13歳で都に上り 宮中に仕え美貌と才能から「多くの女官中 比類無し」と称されました。百人一首にも小野小町作の歌が収録され、女性として唯一「六歌仙(平安時代の代表的な6名の歌人)」に選ばれています。晩年過ごした場所は 湯沢説と山科説があります。ここ「姿見の橋」を渡ったのは 晩年、秋田(湯沢)に帰る途中という事ですね。
この地の小野小町伝承は特定が難しいのですが、一番有力なのが埼玉県深谷市から采女、小町となった女性です。埼玉県深谷市は岡部氏の本拠地であり、岡部氏の前進は小野篁の息子で小野守秀であります、この地にあった岡部宿も小野小町の兄弟筋が開いた可能性がありますので、最も可能性の高い小野小町だと思います。深谷市の小野小町は当時の小野氏長者だった小野葛紘の息子、小野好古の妻となり、熊野参詣の帰り道で大阪府阿倍野区王子町において急病にてなくなったものと思われます。(勿論、根拠があります。)阿倍野区の小町塚は『蘆分船』や『摂津名所図会』に描かれていて、現地の看板には阿倍野池で亡くなった記録は無いとありますが、絵図には「池」は描かれていないので、後になって作られたため池であろうと考えられます。後裔は小野好古の開い四国、讃岐の荘園に土着したと考えられ、讃岐好古小野家では小野小町の後裔を自認していたと思われる手紙が残されています。五代目小町子孫 龍海。
スポットとしてはとても地味でこのためだけに観にくるところではありません。しかし、絶世の美女とされた小野小町もこうしたエピソードがあるのだと知ることができ非常に心が打たれました。
『ガッカリ史跡』かもしれない。が、小野小町伝説の1つには違いないのだろう。(^^;
美貌で知られる小野小町が、晩年、京から東国へ下る途中、ここで川に映るやつれた自分の姿を見るにつけ悲しみにくれたという橋。
| 名前 |
小野小町姿見の橋 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/kyodomuse/11/12/1445916529306.html |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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なんでこんな場所に小野小町?って感じです。