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ここには歩道側に向けて設置された「見分塚」と書かれた看板型の道標があります。「平成29年度(平成28年度事業対象)座間市教育事務の管理及び執行状況の点検・評価報告書」(座間市のHPから閲覧可能です)によると「「座間の郷(さと)の道」道標設置事業」によって市内を通る「大山街道」と「辰街道」に沿って、8基の道標が設置されており、この道標もそのうちのひとつと思われます。以下、看板型道標に記載されている文章を引用します。見分塚ここはかつて「見分塚」といわれ、現在の東海大学付属相模高等学校の西側に小高い塚があったことからこの名で呼ばれるようになりました。塚はちょうど、広げた扇子の要のような場所にありました。この塚は、江戸時代の正保四(一六四七)年に起きた、下鶴間村(現在の大和市の一部)と座間村との境界争い(「夏草騒動」)の際、二つの村の検分のために作られたものです。かつて、この辺りは「秣場」と呼ばれ、屋根の材料になる茅や牛馬の飼料、畑に使う肥料となる草を刈り取る共有地でした。夏草騒動は、七月から八月に行われた夏草刈りが原因で起きた争いで、江戸幕府の調停により境界が確定したといわれています。その後、付近一帯が「検分塚」という地名になりましたが、のちに「見分塚」という字を使うようになりました。平成二十九年三月座間市教育委員会。