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説明板に記載された内容は以下の通りです。鳥居田の中にあったが、圃場整備で旧道筋の庚申坂に移された。武田の軍議で、「非戦」を進言した重臣は全て戦場で討死し、 諫言をした兼周の塚は浅谷に・・・それから四百余年。・ここは宮脇の真田一族の塚に近い・末裔は江戸を生き抜いている樋口姓と言えば真田家臣ですが、樋口下総守兼周は史料が残っておらず詳細は不明なようです。真田家臣の樋口姓で有名なのは「樋口角兵衛」ですが、嘉永2年(1849年)に成立した「本藩名士小伝」では、樋口角兵衛は「樋口下総守の三男」という説を採用しているそうで、この人物が樋口下総守兼周なのかもしれません。ちなみに真田信綱・昌輝兄弟のお墓はここから数百メートル南にあります。