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長門の深川城の支城として築城されました。築城したのは長門守護代だった鷲頭弘忠の家臣・刺賀政頼だと伝わります。位置的に深川城に至る荒ヶ峠の入口にあたる場所です。鷲頭弘忠は大内教弘に守護代の任を解かれると、教弘が深川に侵攻してくることを予見。水軍で海から攻めて来た場合のために長門市に亀山城(現在の長門市役所の裏山)、荒ヶ峠から侵攻した場合に備えて峠の入口にあたるこの地に堅田城など支城を築きました。当初は海から水軍で攻めて来ると思われていましたが、実際には深川城の南方面の荒ヶ峠を侵攻。1448年、大内教弘の大軍に攻められ堅田城は落城しました。この時の戦いで亡くなった多くの兵を埋葬したと伝わる千人塚が近くにあります。