旧東海道・稲垣製茶の向かいで感じる四日市歴史探訪!
日永一里塚跡の特徴
稲垣製茶さん向かいに位置する史跡です。
四日市市内には四ヶ所の一里塚があります。
旧東海道沿いにあり、アクセスが便利です。
四日市市内には四ヶ所の一里塚がありました。一里塚は、江戸時代に整備された街道において約一里(約4km)ごとに設けられた休息用の塚のことです。四日市の場合は、富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり)にあり、文化3年(1806)の「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」で確認できます。 日永一里塚跡は、家屋と倉庫の境界のわずかな空き地に標柱が立っているのみで塚自体は既にありません。
| 名前 |
日永一里塚跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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旧東海道沿い、稲垣製茶さん向かいに位置。※説明板が建立されていましたので、説明文を引用しご紹介します。【日永一里塚跡】三重県指定記念物(史跡)昭和十三年四月十二日指定昭和二十七年七月九日所在変更一里塚は、江戸時代に整備された街道において約一里(約四km)ごとに設けられた塚で、市内には東海道筋に四カ所築かれた。文化三年(一八〇六)の『東海道分間延絵図(とうかいどうぶんけんのべえ)』にも、富田。三ツ谷・日永・采女の一里塚がそれぞれ描かれている。日永一里塚跡は当初、天白橋の北詰西側の榎(えのき)の老樹のある場所と思われており、標柱が建てられ、県の史跡に指定されていた。しかし、その後考証により、日永五丁目の現在地が正しいということになり、標柱を移した。この日永一里塚は、もとは五間四方で高さ二・五間の塚が東海道の両側に築かれており、西側の塚には榎が残っていたが明治二年(一八六九)に伐採され、塚もその姿を消した。平成二十六年九月四日市市教育委員会と、なっています。