長篠合戦跡で歴史を感じる旅。
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| 名前 |
橋詰殿戦場 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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長篠合戦の戦場の1つで、馬場信春が討死した場所と言われています。「信長公記」によると日の出から戦いが始まりますが、兵を失い戦いを維持できなくなった武田軍は午後2時ころから退却を始めます。「甲陽軍鑑」によると、武田勝頼公も土屋昌恒と初鹿野伝右衛門尉の2人だけを連れての退却だったそうです。鉄砲による討死のイメージが強いですが、武田の武将のほとんどはこの退却戦で討死しています。勝頼公の退却路に沿って武将のお墓や逸話が今も残っているため、勝頼公を逃がすために戦ったのだと思われます。戦場から離脱するためには豊川に架かる猿橋を渡る必要があったため、馬場信春も勝頼公の退却まで猿橋を確保することが目的だったと思われます。勝頼公が猿橋を渡ったのを確認した後で、馬場信春は自ら首を差し出したと言われています。実際に討死した場所はここからすぐ近くです。