忠魂碑が語る郷土の歴史。
忠魂碑(商栄町)の特徴
鳥取市商栄町の入口T字路に位置する重要な歴史的史跡です。
日清戦争や日露戦争の戦没者を祀る記念碑で、地元の歴史を深く感じられます。
81柱の戦没者を敬うために建てられた忠魂碑は、命の重みを伝える場所です。
「忠魂碑(商栄町)」は千代川左岸を下流に向かい八千代橋を過ぎ、最初の商栄町入口T字路に建ちます。日清、日露、満州事変、大東亜戦争、太平洋戦争にて戦没の兵士の御霊を祀ると石碑に記されています。祀られている石碑の場所から近隣の江津、田島、秋里、晩稲(おくて)、南隅(みなみがくま)、安長、岩吉、徳吉、徳尾、足山から出征の兵士の御霊が記録されます。忠魂碑は日本海を臨んでいます。遺族とその家族は遥かその先の大陸をこの郷土の地から見つめ、大陸で命を落とした多くの兵士の御霊を弔い不戦の誓いを新たにします。今日と明日の二日間、東京靖国神社は秋の例大祭です。(合掌)
| 名前 |
忠魂碑(商栄町) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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日清戦争、日露戦争により7柱が、満州事変、太平洋戦争で81柱が此の郷土より出征して日本の為に尊い命を犠牲にしてくれました。❶【参考 千代水村誌 1983年】忠魂碑は大正11年(1922年)完成した。千代永村誌には書かれてはいないが、日清、日露戦争の戦没者7柱を祀っている。昭和50年(1975年)満州事変 及び 太平洋戦争没者 81柱を追加合祀した。余談ではあるが、此処から東南の位置にある八千代橋の八千代橋東詰交差点あたりで、出兵兵士を見送った とある。戦時中には、八千橋から丸山三又路方向の道はなく、出征兵士は田島、鳥取連隊(岩倉)あるいは鳥取駅に向かい歩いて行った。八千代小学校生全員、婦人会、青年団など村を上げて軍歌でおくった という。