西福寺北東、清らかな地蔵尊堂。
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| 名前 |
吉野地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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西福寺さん北東、三滝台団地内に祀られていて、境内、建造物等綺麗に維持・管理されている地蔵尊堂です。※資料を引用しご紹介します。【吉野地蔵尊】この堂内の正面には古布をまとった高さ約五〇センチの石像がある。中央には自然石の「重軽石(おもかるいし)」が座具の上に一個と堂内右側にもこぶし大の石が二個ある。真言宗の『オンカカカビサマエイソワカ』と唱えよと書かれている。外に小祠(ほこら)もあって四体地蔵が安置されている。この入り口の小さな堂がもともとのものであったが現在、多くの信仰を集めている。これは昔、川島の鈴木林一氏(明治34年生まれ)が個人的に祀っていたもので、七歳の時、友人の稲垣小兵(こへい)氏と手造りの剣を以てチャンバラをしていたら、林一さんの剣は上の方に引っぱられ、小兵さんの剣は床下の方に引っ張られた。その晩に二人とも同じ夢を見て、お告げを受けたという。「恋しくは南無阿弥陀仏を唱うべし、我も六字の中に住みけり」と聞こえた、近くの「坂下七左衛門の床下に一寸八分(約6センチ)の観音様が居るので掘れ」というものであった。そこには石が出て来た。大工の長谷川甚五郎さんに祠(ほこら)を作ってもらい五番組の稲垣半一さん宅の東に祀った。するといろいろな人が参りに来た。当時の巡査からあまりにも祈りの効果があり医者が迷惑するので祀らないように断りがきたので、仕方なく長持ちに入れて隠していたが、林一さんが二十歳も過ぎたので葛山秀太郎氏に藤山の山上に四畝を借りて祀ることにした。石を移す時、白装束で背負っていったという。そして地蔵盆を始めたりした。その後、三滝台を造る時、近鉄に掛け合って現在の土地に拝殿も作り維持している。お参りは三滝台の人や川島の人、さらには神戸や広島からも聞きつけて来る人もあるという。吉野という名は稲垣小兵氏が北畠顕家の関係者であるといい、中学生のときに小兵さんは亡くなっていたが北畠氏が吉野に居たことから小兵氏が是非「吉野地蔵」を名乗る様云い残したという。文責 郷土史家 桂山孝夫代表世話人 桂山隆。山門忠一と、なっています。 ※貴重な資料ありがとうございました。